これから3人目の介護が始まるかもしれないし、何もないかもしれない

わたしは4年前に認知症で子宮頸がんだった90歳の祖母を看取り、今はシャルコー・マリー・トゥース病で認知症の母を遠距離介護しているので、のべ2人の介護をしてきた。

先週木曜日の朝6時、3人目の介護が始まるかもしれない出来事があった。26年前に家を出て、今は母と同じ盛岡市内に別でマンションを買って、ひとり住んでいる父のことだ。

今から10年前に父は脳梗塞になり、わたしは1回目の介護離職をした。早く病院に行ったおかげで奇跡的に回復したので、わたしは再就職することができた。(その4年後に、2度目の介護離職しちゃうのだけど(笑))

その父が緊急入院したと、岩手にいる妹から連絡がきた。お腹が痛くて、夜中1人でタクシーで病院へ駆けつけたらしい。わたしは東京で妹からくる診断書を読みながら、「上部消化管穿孔の疑い(小腸に穴)」の文字を見つけた。

現在の父とわたしの関係

父に最後に会ったのは、4年前の祖母の葬式のとき。父との関係が悪くなってしまったのは、祖母の余命半年の話を伝えたとき「葬儀社は、俺の顔を立てて親族のところを使え!」と言ったから。20年以上家出して介護もしていない、まだ生きているのに、いきなり葬儀社の話をするとは!温厚なわたしでも、キレてしまった。

祖母が亡くなった直後も、祖母に対しての悪口が止まらない。婿で弱い立場だったようだが、喪中にそれ言うか?ということが続いた。葬儀について口だけ出して、葬儀にはまさかの不参加。喪主のわたしを困らせたり、認知症の妻を10年ぶりに見ても無反応など、愚行の連続でわたしも連絡をしなくなった。

それでも父に何かあれば連絡は来るし、結局は自分が介護をするのだろう・・どんなにケンカしていても、覚悟はしていたけど、どうやら現実になるかもしれない。

父の病院嫌い伝説エピソード

診断書を読むと、高血圧の薬も脳梗塞の薬も1か月前から飲んでいなかったらしい。小腸に穴があいて腫瘍があり、痛くて何も食べられなかったみたいだ。さっさと病院へ行けばいいと思うだろうが、父には信じられない病院嫌いエピソードがある。

30代の頃、あまりに歯医者に行きたくなくて、自分の歯をペンチで抜いたのだ!

顔がアンパンマンほど腫れあがったエピソードは、母が認知症になっても忘れないほどのインパクト。そんなアホな父の血をひくわたしだが、ペンチは工具として使っている。麻酔なしで歯を抜いたら、痛すぎて屋根の上に投げる体力も残らないだろうに・・・

今回も痛さをガマンし続けた結果、悪化させたのだと思う。入院の翌日、ひょっとしたら緊急手術をするかもしれないと言われていたが、やばいのでその手術をした。食べてないから栄養状態も最悪、腎機能も低下していて、手術も乗り切れるか心配だったが、一応は乗り切ってくれた。

わたしは、岩手の妹から送られてくる診断書の画像を東京で見て状況把握しているが、医師として最大限のリスクヘッジをしていることがよく分かる。(最悪の事態を想定した書き方が目立つ)

父に今出来ること・・・実は何もないのだ。何とかこっちの世界に戻ってきたのだが、本人は何も知らない。その証拠に、入院時にいるものもまだ必要ないと言われているし、妹ですら待機状態。今週から、わたしも参戦する予定。

腎機能が低下しているので、退院できたとしても永続的な透析の可能性が待っている。術後の合併症リスクが、山ほど診断書に書いてあるから、どうなるかも分からない。現在は、人工呼吸で管理されている。

父は26年家出中だから、認知症の母とは同じ家で生活したくない。もし介護が始まったら、父の家と母の家を行き来するようになる・・・なかなかの体験だと思う。

がんの可能性もあり、今検査中。小腸を切除して、腫瘍は取り切れなかったからかなり怪しい。告知はどうするか?などあるが、だいたいやるべきことは分かっている。

ムダに先を予測し過ぎて不安になるのもイヤだから、起きたことにひとつひとつ対処していくつもり。わたしはひとりでは頑張らない、頼れる人に頼って、アドバイスももらってなんとかする。

どんなに憎くても・・・

わたしは祖母とも小さい頃ケンカをしていたので、あまり仲よくはなかった。それでも、看取りまでキチンとやるべきことはやれた。

よく介護者の悩みのひとつで、親子関係が悪くて介護がうまくできないというのがある。そういう人たちに言いたいのは、死ぬ間際で弱った姿をみたり、余命宣告をされたりしても、その仲の悪い親子関係が頭に浮かぶのかということ。

わたしの場合、父と4年間連絡してなかったとしても、認知症の妻の介護を一切しなかったとしても、ひどいことを言われたとしても、この状況になると親を心配してしまうのだ。緊急連絡が来るかもと、枕元に携帯を置いてしまうし、LINEのバイブ音に過剰に反応してしまう。許せないことを言われたけど、やはり死を意識する段階になると、そんなのもどっかへ飛んでいってしまう。祖母のときと、全く同じだ。

人間って、目の前に弱った生き物がいたら、助けてあげたいって気持ちになるのが、普通なんだと思う。

そして、こういう状況になったとき「なんで、わたしばっかりが」とか言う介護者がいる。他の人と比較するから、そんな気持ちになるのだ。しょうがないじゃん、自分の運命なんだから。来た波にうまく乗るしか、手はないって話。ジタバタしてもしょうがない。ジタバタすると世紀末がくるって、小さい頃シブがき隊に教わった。

あとはスカイツリーくらいプライドの高い父が、わたしの提案を受け入れるのかどうか。介護に、全く手出しができない可能性だってある、すべては父次第。

介護者として本当に強くなった自分

朝6時に岩手に居る妹から電話が来てすぐに察したけど、慌てない自分がすごいなと思った。父の脳梗塞、祖母の子宮頸がん、大腿骨骨折、母の認知症発覚、そして今回の父の緊急手術・・・ここ10年の経験が生きている(笑)

いつもラッキーなのは、これらすべて妹がお休みのときに起きるということ。わたしが新幹線で駆けつける必要がいつもなく、あとで主介護者としてバトンタッチする形になる。

祖母を看取って、認知症の母親を介護して、いずれやってくるであろうと思っていた父親。家出した時点で、あとは自分の好きな人生を生きてくれと思っていたので、今回の件はすごく割り切っている。認知症の母と違って、弱ってはいても自分で判断できる。だから、生きる選択肢を提示するのみ。

ちなみにこの事実は、認知症の母には伝えない。母も違ったステージに移行しつつある気がしていて、混乱は避けたいところだ。ただ、この執筆活動については、父に伝えようと思っている。おそらく介護離職して、ニートだと思っているだろうから。

「あ~、働き方を変えておいてよかった~」

自然と口から、ブルゾンちえみが出てきた。この状況、東京で会社員として働いていたら、ストレス半端なかったと思う。いや、本当にラッキーだ!

これから起きるいろんなことに、ひとつひとつ「しれっと」対応する!まずは近日中に父と久々の対面となるので、ペンチだけは病室に持ち込まないよう気をつけたい。

今日もしれっと、しれっと。


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【わたしの書いた最新刊】
東京と岩手の遠距離介護を、在宅で11年以上続けられている理由のひとつが道具です。介護者の皆さんがもっとラクできる環境を整え、同時に親の自立を実現するために何ができるかを実践するための本を書きました。図表とカラーで分かりやすく仕上げました。

2件のコメント

くどひろさま、こんにちは
いつも、ブログを読んで元気をもらっています。今日は、2度目のコメントをさせていただきます。
「どんなに憎くても……」のところを読んで、泣いてしまいました。身体の奥から出てきたのは、苦くて渋い涙でした。
昨日、テレビを見ていたら、ある人が言っていました。「いいことも悪いことも、あまり長くは続かない」って。
(現在のくどひろさんにふさわしい言葉かどうか判りませんが、思い出したので……)

くどひろさんの今日が、よい一日であることを願っております。
シブがき隊の曲の引用はナイスですね。私は中学生の時に聞きました。

ほなねさま

ブログ読んで頂き、ありがとうございます!おっしゃるとおり、いいことも悪いことも長くは続かない、認知症の方に関しては特に!というのがあります。老化スピードが2倍から3倍と言われているためで、その通りだなぁと思いました。

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ABOUT US
工藤広伸(くどひろ)介護作家・ブロガー
1972年岩手県盛岡市生まれ、東京都在住。
2012年から岩手でひとり暮らしをするアルツハイマー型認知症で難病(CMT病)の母(80歳・要介護4)を、東京からしれっと遠距離在宅介護を続けて12年目。途中、認知症の祖母(要介護3)や悪性リンパ腫の父(要介護5)も介護し看取る。認知症介護の模様や工夫が、NHK「ニュース7」「おはよう日本」「あさイチ」などで取り上げられる。

【音声配信Voicyパーソナリティ】『ちょっと気になる?介護のラジオ
【著書】親の見守り・介護をラクにする道具・アイデア・考えること(翔泳社)、親が認知症!?離れて暮らす親の介護・見守り・お金のこと(翔泳社)、医者には書けない! 認知症介護を後悔しないための54の心得 (廣済堂出版)ほか