認知症治療・コウノメソッド実践医に母を診てもらいました(11回目)

2013年4月からスタートした認知症治療も、これで11回目になりました。今までの流れを簡単におさらいします。

今までのコウノメソッド実践医の受診と内容

第1回目(2013年4月)→ アルツハイマー型認知症と診断。フェルガード100M開始。訪問看護スタート
第2回目(2013年8月)→ レミニール4㎎×1錠を朝服用 看護師・薬剤師による服薬管理をスタート
第3回目(2013年9月)→ レミニール 4mg→8mg に増量
第4回目(2013年11月)→ レミニール 8mg → 4mgに変更 祖母が死去
第5回目(2013年12月)→ 4回目を維持
第6回目(2014年1月) ?→ ?長谷川式テストで30点満点で28点(過去最高点)ピック病の疑いあり
第7回目(2014年2月) ?→ ピック病と診断
第8回目(2014年3月) → フェルガード100MからフェルガードBに変更
第9回目(2014年4月) → 8回目を維持
第10回目(2014年5月) → 8回目を維持
第11回目(2014年6月) → 今回の記事

わたしひとりで病院へ

いつもは母と2人で病院へ行きます。近くでレンタカーを借りるのですが、車はこの時しかないので、ついでに外食にも行きますし、買い物もリハビリを兼ねて行きます。

その日から1週間から2週間生活を共にするというパターンを1年半近く続けていますが、今回初めてわたしひとりで病院へ行ったのにはワケがあります。

「先生に全力で、認知症について質問ができないから」

です。母はまだ軽度な認知症なので、”微妙に” 診察の時の事を覚えています。それが ”誤変換” され、被害妄想へ変化します。病院に行ったあとは、約1週間にわたって先生のこと、看護師さんのこと、病院内の様子を語るのですが、どれもまるで違います。わたしの推測では、

「わたしが認知症の症状を直球で先生に伝えると、それを怒られているように感じ取る」

のではないかと。一応、息子の事は信頼してくれているので、それが先生や看護師さんに変換され、先生へのネガティブな発言へとつながるのではないかと。今回はひとりなので、何も気にすることなく全力でお話しました。

ピック病治療の今後の方針について

うちはピック病と診断されているので、認知症の中では唯一治る可能性のあるものです。治る可能性があるならば、いろいろと試してみたい!とわたしは思っていて、その思いを先生にぶつけました。

またピック病でありながら、アルツハイマー型認知症でもあるんじゃないか?とわたしは思っていて、混合型ってあるのか?という事も先生に聞いてみました。

一般的にはアルツハイマー型と診断すると、その方針で最後まで治療を行う病院が多いとのこと。コウノメソッドのいいところは、アルツハイマーに寄っているなとか、ピックっぽいなとその時の状態に合わせて、治療方針を変化させていくこと と言ってました。

確かにうちも最初はアルツハイマーの治療をやってきましたが、最近はピックの傾向が強まっていて、ピック病の治療に切り替えてます。ピック病治療としてフェルガードBを飲み始めて、そろそろ3か月。改善点としては、

・食い気味に話し始める症状は、だいぶ落ち着いてきた
・暴走気味な行動も、だいぶ落ち着いてきた

フェルガード

逆にアルツハイマーっぽいところも見えてきていて、

・会話の中での妄想の割合が、だいぶ増えてきている
・ひとりで決まった日時に、サプリメントを消化できない

規則正しいのがピック病の特徴ですが、それが崩れてきているし、妄想や取り繕いが相当増えてきています。特に取り繕いがすごくて、アルツハイマーの人が得意な分野でもあります。というような話を先生にして、最終的にはピック病のお薬であるウィンタミンの投与をテスト的に実験するという事になりました。

こういう先生との認知症の会話のキャッチボールができるところもすばらしいです。普通ないですよね、医療って医師の言うがままっていうのが一般的ですから。認知症は特に一緒に過ごす家族からの報告が大切なので、家族の話を聞こうともしないお医者様がいたら、即セカンドオピニオンをお薦めします。(うちはそれで病院を変えて、今があります)

わたしが滞在している時だけ、ウィンタミン(5mgとかなり少量)を投与して変化を見るという事を今後やっていきます。ウィンタミンがうまく効いてくれるといいのですが、これもだめだと、フェルガード1本で変化があるまでずーっといかないとだめになるんだよな・・・

介護者自らが薬の量を調整して、認知症の人の変化を見るということをコウノメソッドでは 「家庭天秤法」 といって、コウノメソッド3本柱のひとつです。次回はこの 「家庭天秤法」 についてお話します。


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東京と岩手の遠距離介護を、在宅で11年以上続けられている理由のひとつが道具です。介護者の皆さんがもっとラクできる環境を整え、同時に親の自立を実現するために何ができるかを実践するための本を書きました。図表とカラーで分かりやすく仕上げました。

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ABOUT US
工藤広伸(くどひろ)介護作家・ブロガー
1972年岩手県盛岡市生まれ、東京都在住。
2012年から岩手でひとり暮らしをするアルツハイマー型認知症で難病(CMT病)の母(80歳・要介護4)を、東京からしれっと遠距離在宅介護を続けて12年目。途中、認知症の祖母(要介護3)や悪性リンパ腫の父(要介護5)も介護し看取る。認知症介護の模様や工夫が、NHK「ニュース7」「おはよう日本」「あさイチ」などで取り上げられる。

【音声配信Voicyパーソナリティ】『ちょっと気になる?介護のラジオ
【著書】親の見守り・介護をラクにする道具・アイデア・考えること(翔泳社)、親が認知症!?離れて暮らす親の介護・見守り・お金のこと(翔泳社)、医者には書けない! 認知症介護を後悔しないための54の心得 (廣済堂出版)ほか