祖母(90歳)が、昨日亡くなりました。
13時30分頃に病院から連絡があって、
「今朝急に38度の熱が出たので、病室をナースステーションの前に移してもいいですか?」
前日も祖母の元を訪れたんですが、どうも様子がいつもと違ったので、念のため看護師さんに
「今日、病院へ伺ったほうがいいでしょうか?」 と聞くと、
「何とも言えませんが、お会いできる方は会った方がいいかもしれません」 と。
認知症の母(70歳)には、祖母の病状は隠してきた事に加え、本人がポジティブに勘違いしてくれていたので放置していたんですが、さすがにこの状況はだませないので、理由を言って病院へ連れて行きました。近くにいる妹にも声をかけておきました。
病院に着くと、肩で息をする祖母。熱は奇跡的に36度まで下がったものの、体温は冷たく、血圧は上が70。祖母の手を握り、話しかける母。2時間30分くらい病院にいました。妹も来て、久々に家族4人が勢揃いしました。
病院に着いた直後は本当にやばいと思ったんですが、こちらから一方的にいろいろ話すうちにだんだん元気になってきて、最後病院を去る頃には血圧が99まで回復。手も動くし、表情も豊かになってきたので、これは大丈夫だなと思い、家に帰りました。夕食を母と食べていると、突然電話が。
「おばあさまが急変したので、すぐ来てもらえますか?」
正直びっくりしました、1時間前までぐんぐん回復していたように見えたのですが・・・認知症の母は、帽子をかぶっていきたいと。でもその帽子がまた見つからない・・・認知症だからしょうがないけど、こんな時に!って思っていると、
「何分ぐらいで病院に着きますか?」
という催促の電話があり、急いで病院へ向かいました。病室に着くと、看護師さんがひとこと・・・
「呼吸は既に止まっています・・・、今先生を呼びますんで少々お待ちください。」
先生が来ると、瞳孔のチェックと心臓停止のチェックをしました。ドラマのワンシーンでよく見ますが、現実ってこうなんだ・・・そんな想いでした。延命治療は行わない方針を伝えていたので、最期はとても安らかだったそうです。
「午後8時8分、死亡の確認を致しました」
覚悟は1年前の子宮頸がんの告知をされた時からしてましたが、本気で覚悟し出したのは意識レベルが低下した夏と、2日前です。死因は子宮頸がんになっていますが、老衰です。がんのために体力を奪われたという先生のお話でした。
わたしが思うに病院内での大腿骨骨折以降、寝たきりの時間がどんどん長くなり、子宮頸がんで体力がさらに奪われたのが一番大きかったと思います。
その後は
病室の荷物の片づけ → 葬儀社へ電話 → 霊安室に遺体を運び、拝む → 遺体を葬儀社へ運び、今後の打ち合わせ
病室で看取ったあと、これらすべては2時間で終わりました。展開が早すぎてびっくりでしたが、こういうものですよね。
いくつもの奇跡
わたしが東京にもしいたら、最期母も会う事ができなかったし、きっと最期にわたしが東京から来ることを察知して、頑張っていたんだろうと思います。母、妹、わたし、そして祖母の4人全員が病院で集まるのは1年ぶりくらいなので、これもまた奇跡。いつもなら1時間程度しかいない病院に、2時間以上も居られたという奇跡も重なって、
親戚の方々と話すなかで、なるほどな と思ったことがあります。
「死ぬ直前の人は、最期急に元気になる」
きっとこういう体験をされている方、多いのではないでしょうか?
最後に・・・認知症の母は、親族にこう何度も何度も説明しました。
「わたしが行ったら、母が待ってたかのように急に目を覚まして、わたしに声をかけて亡くなった」
全く違う内容ですが、いい勘違いの仕方です。認知症はこういう時はありがたいな・・・と。亡くなった瞬間を忘れられるのも、ひとつ幸せなのかもしれませんね。
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