最期の晩餐は「ヤキニク」になった

電動ベッド 頭の位置

今わたしは、父が使っている電動ベッド(記事タイトル下の写真)に寝ている。

福祉用具専門相談員さんと、作業療法士さんに言われたのが、

作業療法士さん
枕を基準に電動ベッドを起こしてはいけません。ヘッドボードギリギリまで頭を上げてから、起こします。

電動ベッドの脇にあるボタンで通常の枕の位置から体を起こしていくと、圧迫感があった。

でも、ヘッドボードギリギリまで頭を移動させてみたら、圧迫感がなくなった。

なるほど、そういうことか。こんな状態で食事介助とかさせられたら、たまらんな・・・そう思った。

自分は電動ベッドで寝がえりも打てるし、頭の位置も自由に変えられるけど、退院直後の父は全く動けなかったから、この微妙な差でも大変だったということが推測できた。

介護家族のみなさんも電動ベッドに一度寝て、どこが圧迫されるのかチェックしてみるといいと思う。

1晩寝てみたが、意外と寝心地は悪くなかった。

さて・・・

なぜわたしが電動ベッドで寝ているかというと、父がそこに寝る必要がなくなったからだ。

寝心地が悪くないのに3時間で目が覚めた・・・電動ベッドのせいじゃなくて、老化かもしれないが。

父は隣の部屋で白い布を顔にかけ、うっすら笑って幸せそうに眠っている。

急なことだった。

わたしが父と最後の晩餐「ヤキニク」を食べ、父の背中を見送ったのが本当に最期(9月4日)になってしまった。

帰京して2週間東京で過ごすつもりだったけど、翌日(9月6日)にすぐ盛岡に戻ってきた。

本当は在宅で痛みを取りながら、みんなでゆっくり看取りたかった。

でも、深夜3時に強烈な痛みに襲われて電話した先が、最初に表示された電話帳の「あ」の人。

元会社の同僚はびっくりして、救急車を呼んでくれて、結局病院へ連れていかれてしまった。

本当なら、在宅で診てもらっていた24時間緊急対応に電話するところだった。

携帯はワンプッシュで緊急連絡先につながるように設定していたし、いつもそれを使っていた。

しかし、小腸に再び穴が開いてしまっては、通常の判断すらできなかったのかもしれない。

その前日、父に「いざという時は入院したいのか」と確認したら、「家に居たい」といった。

それを叶えてあげられなかったことが唯一心残りだけど、亡くなる2日前に最後の晩餐ができたことは本当によかった。

病気が分かってからの3か月は、カルピスの原液ぐらい濃厚な日々だったと思う。

なないろのとびら診療所(旧ものがたり診療所もりおか)のスタッフの皆さんが家に来るたびに、父は元気になった。

いろんな療法も温泉も、父の生きる力になっていた。

少しは延命できると信じることが、最期まで生きる原動力になったと思う。

ブログ読者の方から頂いたサプリのことを伝えたら、「おー、そうか」と照れながら感謝していた。

2020年の東京オリンピックが見たいという、かなり無謀な目標を言うくらい元気なこともあった。

とにかく、病院から退院させて在宅で多くの時間を過ごせて、本当によかった。

病院でベッドに横たわる父に数ヶ月間、一方的に話して終わるような最期でなくてよかった。

いろいろ手を尽くしてもらったから、亡くなる2日前に大ゲンカもできたのだ。

30年ぶりに親子でお風呂に入った。本当に最後に食べたいものはステーキだったけど、ヤキニクでも合格だと思う。親子で酒を酌み交わすこともできた。4年も口を聞いてなかったから、短期間でいろいろ取り返せたと思う。

未だに要介護認定の結果はわからないが、ケアマネから要介護5の予定といわれている父がこれらをやってのけた。

救急病棟を退院して、病院ではなく自宅を選択した時、周りは驚いていたし、父も最初は納得してなかった。でも、家で過ごすにつれ、家じゃなきゃダメだと父はいった。家に居たことで、いろんな奇跡が起きたのだと思う。

「つい最近まで元気だったのに・・・」多くの人が、こう言った。食べられなくなったり、呼びかけに反応しなくなったりといった、旅立ち直前のサインがあまりなかった。

小笠原文雄先生の本ほど発信力はないが、在宅看取りにトライした経験はこれから発信していきたいと思う。

病院で亡くなって相変わらずの即退去だったので、すぐ家に運んでもらった。お世話になったスタッフの皆さんが次々と家を訪れ、拝んでくれる。そして遺体の前で、ゆっくりお話をする。こんな幸せなことはない。

祖母のときは遺体を葬儀会場に置いたまま、家に戻すことはしなかったのだが、今回は絶対家に戻そうと決めていた。

あの流れ作業感たっぷりな病院の対応から、商業感たっぷりな葬儀会場へ行ってしまえば、なんかむなしいから。

余韻なく、早く悲しみを消し去りたい人もいると思うから、流れ作業も一つの選択肢だと思う。

動かなくて冷たい父とわたしの2人きりで2晩もマンションで共にしているが、これでよかった。

一方的に話しかけていると、なんか動き出すような気がしてならない。なんだろうな、この感覚は。

本当によく頑張ったね、お疲れ様でした!

今日もしれっと、しれっと。


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【わたしの書いた最新刊】
東京と岩手の遠距離介護を、在宅で11年以上続けられている理由のひとつが道具です。介護者の皆さんがもっとラクできる環境を整え、同時に親の自立を実現するために何ができるかを実践するための本を書きました。図表とカラーで分かりやすく仕上げました。

15件のコメント

あまりにも突然のご訃報に、お会いしたことはないのに涙が出てきます。

わだかまりのあった息子とお酒を酌み交わし、自宅で過ごした3ヶ月。お父様はきっと幸せな最後だったんではないかと思います。
ご冥福をお祈りいたします。

自分の記事に、くどひろさんのリンクをお願いしようとお邪魔させていたきましたところ、驚きました 親父が亡くなった日のことを思いだしました 私は何もしてあげることが出来ませんでした 当時、私は、新規事業の立ち上げを任されており、死に目にも会えませんでしたが、自宅には連れて帰ってきました 父に対しては色んな感情がありますが、「親父ってすごかったんやなぁ」、の一言です きっとお父様は、くどひろさんに心から感謝されておられるでしょう 記事をまた拝見させていただきます

たくさんの愛を持ってお父さんに接してこられて、今穏やかな気持ちでおられるのでしょう。いつも、勉強になることばかりですが、今回も心に深くしみるくどひろさんのメッセージでした。お父様のご冥福をお祈りいたします。

ななさん

共感疲労はNGですよ~

今からケアラーズハイ状態を少しずつ解除しないといけませんが、まだ数ヶ月はハイのままになりそうです!

ねーさんさま

愛があるのかどうか自分でもよく分かりません・・・やっぱりムカつくことはありますし、許せてないところもあります。自分で書いていてもどう伝わっているかまでは推測できませんが、心に深くしみてうれしいです!

こんばんは。

お父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

くどひろさんが帰京した事もすっかり忘れ、お父様とまた喧嘩でもされたか?と思いながら読み進めました。
全てがお父様の最後にあたって善き出来事で、善い人生の仕舞い方だったと感じます。
ご自宅に戻られてからの日々は、逝く人にも遺される人にも悔いを残さない最善の日々だったと
私の目には映ります。

どのような送り方をされても、遺された者はなにかしら「もっとこうしていたら」と思うようです。

この一年近親や知人を4人も送りました、逝く人の生き様死に様から、今後も善く生きる事を
学ばせて頂きたいと思うこの頃です。

どうか、お疲れの出ませんように。

自分もてんてこ舞いさま

そうですね、100%の達成感は得られません。でも達成感>後悔という感じなので、これでよかったのだとも思います。何かを学んで、次に生かせるようにしたいです。ありがとうございます。

私の父も最後は焼肉でした。お世話になっていた施設での焼肉パーティ。しかもスタッフさんたちが、驚くぐらいの大食。
その2か月後、同居していた義父が、亡くなる数日前に、全く喉を通らなかった食事をほぼ完食しました。その時、死亡診断に来ていただいたドクターがおっしゃっていました。「たまにおるんよね、亡くなる前に腹いっぱいメシ食う人!」
きっと、お父様はあっちの世界へ旅立つ前に、腹ごしらえなさったのですね。しかも頼もしい息子と!

くどひろ様

お父さんの記事が出てからずっとお父さんを応援してました。
元気になって!と。余命宣告を裏切れ!と。

ずっと絶縁し続けて行くのかと思っていたのに、最期は懸命に病気に立ち向かった貴方を賞賛します✨
そしてお父さんが、安らかに永眠出来ますようお祈り申し上げます。

くどひろさん、時同じくして、私も父親との別れを迎えてしまいました。
このブログに教えられ、励まされ、知識を持って取り組むぞ❗️
と 思ってた矢先の、誤嚥性肺炎でした。
あっと言う間に、枯れて、旅立ってしまいました。
家に連れて帰って、12日間、ただそれだけの時間しか与えてくれませんでした。
私は、思い上がってました。
父の本当の身体の状態と向き合っていなかった。
家に帰りたいが為に、必死の思いでリハビリしていた父の気持ちを踏みにじって
いたのです。ごめんなさい。ごめんなさい。
取り返しのつかない事をしてしまいました。
どんな状態でも、「思い」を持った、一人の「人」なのに
介護してやるんだ。私が判断してやるんだ。と、思い上がってました。
しれっとできなかった。 スミマセン愚痴って。

さゆさま

コメントありがとうございます、ブログも読んで頂きうれしいです!

さゆさまの思いは、十分お父様に伝わっているとわたしは思います。12日間でも思い出のある天井や壁、家の匂いをお父様が感じられたこと、その環境を作ってあげたさゆさまご自身を褒めてあげてください。世の中には最後の瞬間に全く立ち会えなかったり(立ち会おうとしない)、お世話もしない人もたくさんいます。手を尽くしただけでも、素晴らしいことだと思います。

わたしも3か月間頑張りましたが、やはり後悔はあります。かかりつけ医や看護師さん、ヘルパーさんもみんな後悔があると言ってました。その後悔はどうやって消せばいいかというと、次の看取りのときだと思います。わたしの祖母の看取りの際に失敗したことを、父のときには後悔しないように実行し、できました。そして父への後悔を、母のときには繰り返さないようにしたいという思いがあります。

「思い出のある天井や壁、家の匂いを感じられたこと」
くどひろさんの表現に涙が出ました。
今の後悔を、受け止めます。次で、消す為に。

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ABOUT US
工藤広伸(くどひろ)介護作家・ブロガー
1972年岩手県盛岡市生まれ、東京都在住。
2012年から岩手でひとり暮らしをするアルツハイマー型認知症で難病(CMT病)の母(81歳・要介護4)を、東京からしれっと遠距離在宅介護を続けて12年目。途中、認知症の祖母(要介護3)や悪性リンパ腫の父(要介護5)も介護し看取る。認知症介護の模様や工夫が、NHK「ニュース7」「おはよう日本」「あさイチ」などで取り上げられる。

【音声配信Voicyパーソナリティ】『ちょっと気になる?介護のラジオ
【著書】親の見守り・介護をラクにする道具・アイデア・考えること(翔泳社)、親が認知症!?離れて暮らす親の介護・見守り・お金のこと(翔泳社)、医者には書けない! 認知症介護を後悔しないための54の心得 (廣済堂出版)ほか