今回の記事タイトル、実はわたしの新刊の原案にあった第3章の見出しを少し変更したものです。どういう章の書き出しだったか、原文をそのまま載せます。
新刊を読んだ方はご存知かと思いますが、「7つの習慣」「伝え方が9割」「嫌われる勇気」この3冊を認知症介護に応用しました。原案では、1章まるまるをこの話だけで構成しましたが、新刊ではバラバラになって収録されました。
これはどういうことなのか、解説してみます。
認知症介護の初期段階は、一般的な本を読むべし
- 同じことを何回も言う認知症の人には、毎回笑顔で初めて聞くかのように対応すべし
- 大声を出して攻撃的になったら、話をよく聞き、落ち着ける場所へ移動すべし
- 夕方になって家に帰りたいと言い出したら、「ゆっくりしていってください」と言うべし
認知症介護の初期段階は、上記のような基本的な対処法を学ぶ必要があります。わたしも、こういったことが書いてある本を何冊も読んで、母や祖母にそのまま実践してきました。
ただ、こういった対処法も数日であればいいのですが、1年、2年と同じことを繰り返すと、果たしてこれでいいんだろうか?と思う事もあります。残念ながら認知症は根治しませんから、その場しのぎ的な対処法を何年と続けないといけません。
続けていることで対処法に慣れ、何も考えなくとも実践できる方もいらっしゃいます。一方で、いつまで同じ対処法を続けなくてはいけないのか?とストレスを感じる方もいます。わたしはこの2つをミックスした感じで、慣れるけど何か他の方法はないのか?そう考えてしまうタイプです。
認知症介護を2年以上している方は、人間の本質を学ぶべし
認知症介護の本を100冊読んだと書きましたが、すべて熟読したわけではありません。目次と見出しをざーっと見て、流し読みして終わった本も結構あります。
そもそもどのように生きて来たか、その人ごと人生歴はバラバラなわけで、それをパターン化することには限界があります。うちの母はピック病ですが、よく言われる万引きはしません。甘いモノしか食べないといった症状もないですし、ピック病でもいろいろあるわけです。
たくさんの認知症の本を読み、実践していくうちに分かったことは、だんだん人間の本質を読み解く力が必要になってくるということです。例えば、作話という症状があります。自分の都合のいいように、勝手に話を作るというものですが、これは認知症でなくても、誰もが自分の都合のいいように、話を変えているという事実があります。
「認知症だから」というレッテルを貼って、介護者は納得しようとするのですが、認知症でなくてもそういうことをやってしまうわけです。理性が保てなくなって、「人間としての本質」が出てきてしまうのです。
わたしも、ブラックくどひろが心の中にいますが、天使くどひろがうまくブロックしてくれているおかげで、ブラックさが表に出てきません。誰もがそういった二面性を持っていて、「認知症という病気が天使を殺してしまっている」と考えています。
だから、認知症という症状に対する対処法を学んだあとは、自分のそういったブラックな部分(=人間の本質)と向き合うと、思わぬ答えが得られることがあります。認知症介護の本には、人間のブラックさのことは書いてないので、これぞという認知症介護本を1冊、手元に残して辞典のように使いつつ、卒業していろんなジャンルの本も読んでみるといいと思います。
2年経っても、初期段階で読んでおくべき本を読まないで、場当たり的な対応をしている方も結構いらっしゃいますよね。介護者がレベルアップしないと、認知症の進行にも対応できません。
今日もしれっと、しれっと。
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