認知症の終末期を考える

東洋大学・朝霞キャンパスで行われた「認知症の終末期をかんがえるフォーラム」に参加してきました!

基調講演「認知症ケアの倫理 家族の代理判断を考える」

うちの場合は祖母(89歳)が認知症であり、子宮頸がんで余命半年と当初言われたのでいわゆる終末期(ターミナル)と言えると思います。家族の代理判断についてがお題だったのですが、この事例を聞いて一般的にはこのような事が起きるのか・・・そんな感想でした。このような事とは、

『家族の経済的・精神的負担の回避という思惑が入る危険がある』

言葉が難しいと思うかもしれませんが、例えばこのような家族の代理判断が起こりうるということです。

  • 歳も歳だし、認知症もあるので、検査や治療は無駄だと思う。医療費も大変
  • 入院したら誰か病院についていなくてはならないし、わたしは仕事があるので・・・

これって介護する側の都合であって、認知症の患者側の立場に立っていないということです。講演のオチとしては、事前指示といって、認知症になる前に本人の意思を十分にくみ取っておく必要があるという話です。そのツールとして、別セッションで本が紹介されました。(記事の一番下にあります)

わたし自身も一度自己点検をして、事前指示を作ってみたいと思っています。わたしがもしそのような状態になったら、介護するのは奥さんです。でも奥さんの負担にはなりたくないので、こういうノートをちょっと早いですがまとめようと。

この講義を聞きつつ、自らはコウノメソッドで介護をしています。コウノメソッドには介護者優先主義というのがあって、介護者がつぶれてしまうようならば、介護者を守るという考え方です。

結局講演を聞きながら、『バランスが大切だよな~』 そう思いました。介護する側がだめにならない程度に、認知症の患者の意向を尊重してあげる これが一番大切です。

いろんな言葉があるんだなと思ったので、一部ご紹介します。

Ageism(エイジズム) 年齢による差別 → 歳だから何もできないとか、意味がないといった差別
Dementism(ディメンシズム) 認知症が原因の差別 → 認知症だから何もできない、言っても意味がないなどという差別

また、終末期というテーマで印象に残った言葉が、

Cure Sometimes, Confort Always.

時に必要な治療、常に快適なケアをする という言葉です。無益な延命治療をやめても、こちらはやらないといけないという事なんですが、これ自体も上記のような差別が原因で適切になされないということがあります。言葉の重みを受け止めて、これを実行する環境づくりをするのが自分の仕事ですね~

今日もしれっと、しれっと。


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東京と岩手の遠距離介護を、在宅で11年以上続けられている理由のひとつが道具です。介護者の皆さんがもっとラクできる環境を整え、同時に親の自立を実現するために何ができるかを実践するための本を書きました。図表とカラーで分かりやすく仕上げました。

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ABOUT US
工藤広伸(くどひろ)介護作家・ブロガー
1972年岩手県盛岡市生まれ、東京都在住。
2012年から岩手でひとり暮らしをするアルツハイマー型認知症で難病(CMT病)の母(81歳・要介護4)を、東京からしれっと遠距離在宅介護を続けて13年目。途中、認知症の祖母(要介護3)や悪性リンパ腫の父(要介護5)も介護し看取る。認知症介護の模様や工夫が、NHK「ニュース7」「おはよう日本」「あさイチ」などで取り上げられる。

【音声配信Voicyパーソナリティ】『ちょっと気になる?介護のラジオ
【著書】親の見守り・介護をラクにする道具・アイデア・考えること(翔泳社)、親が認知症!?離れて暮らす親の介護・見守り・お金のこと(翔泳社)、医者には書けない! 認知症介護を後悔しないための54の心得 (廣済堂出版)ほか