今日はわたしががん患者の家族として余命半年の告知を受け、その後どんな行動をとったか、どのような考えになったかのはなしです。遠距離介護に時間を割こうと思った理由のひとつです。
わたしの祖母(89歳)は子宮頸がんのステージⅢaです。末期がんというケースもあるし、そうとらえない考え方も医学的にあるようです。わたしの場合はお医者さんから言われた余命、そして手術不可というところから末期がんと考えていました。
本当に末期がんなのかという思い
親戚のおばさん(80歳)と話をしてから、『祖母は、余命半年ではないな』と思うようになってきました。おばは肺がんで同じくステージⅢです。75歳の時に告知されたそうで、それでも明るく『わたしは告知されたけど、もう5年も生きているのよ!』と。もちろん体の不自由なところはありますが、認知症でもなく自宅で過ごしています。
祖母は高齢ということもありもう治療はできませんが、がんの進行は高齢なのでゆっくりです。告知も先生2人がされたのですが、かたや半年~1年。もう一方は3年くらいとかなり幅広いものでした。告知されるとショックが大きいのですが、余命は人それぞれ。末期がんと思えば末期だし、そう思わなければそうでない!
自分の中で余命をどう考えるか、これが余命の期間の答え なんじゃないかなって思ってます。
流通ジャーナリスト金子哲雄さんの『僕の死に方』を読む
こういう環境にならないと、決して読むことのなかった本だと思います。金子哲雄さんのこの本を新幹線の中で読んだ際、学んだ事は『死への準備』です。実際私も2か所ほど、この本を読んだ後に葬儀屋に行きました。担当の方も『金子さんの本が出版されてから、前もって葬儀準備される方が増えました』と。
行った理由はもちろんこの本がきっかけですが、もう一つ。なぜ孫の私が40歳で遠距離介護をすることになったのか? にもありますが、別居中の父の催促によるものです。
互助会はお葬式代を毎月積み立てていくもので、地方都市は本当にこの手の広告が多いし、今まで気にならなかったんですが、街中にこういったセレモニーホール的なものが増えています。葬儀屋さんの営業の方と、具体的な葬式費用について話したのですが、
『ここまでは標準でセットされてますが、いろんなオプションが実際は必要です。』
『例えばドライアイスですが、10㎏まではついてきますが実際は足りませんので、追加料金で購入です』
へぇ~、こういう商売の仕方ってよくあるけど、死の商売って結構露骨だな。そんな感じで話を聞いて申込書はもらいましたが、結局その市特有の葬儀の仕方があるらしく、また親戚が葬儀屋だったこともあり、こちらの互助会にはお世話にならないことに決めました。ほとんどの方が実際事が起こってから葬儀の準備をされるそうで、今回のこの葬儀屋訪問は自分の中でいろいろと考えさせられるものがありました。
準備する事自体が不謹慎とかいう思いもよぎりましたが、結論は『死への準備は必要』ということでした。前にも書きましたが、ガンで死ぬことのありがたさのひとつに『がんは余命が分かるから、余生を充実させることができる』と。葬儀という形式的なものの準備ももちろんしますが、それ以外の余生の楽しみをどう演出するか それを考えています。
祖母の成年後見人になった事で、祖母のためにお金をうまく使う事が許されてます。楽しい環境やイベントを考える事ができるステップに来ているので、あとはそれをプランしようと。一方で3年や5年という長生きプランもバックアッププランとして考えてます、成年後見人としてお金を大事に祖母のために使います。
『最後の敵』という記事でわかるガンの本当の恐怖とは?
漂流生活的看護記録さんのブログ記事が、話題となりました。タイトルは『最後の敵』。たくさんの患者さんの最期を看取ったことがある方が言う、別な視点での恐怖にわたしは妙に納得したのでした。一部ブログの内容を引用しました。
まだ一般病棟で働いていた頃、ある末期がんの患者が「最初は痛かったり苦しかったりするのはイヤだな、怖いなって思ってたんだけど、実際こうなってみても予想してたほど痛くも苦しくもない、なんだかアテが外れたような気がする」と言うのでわたしはもう少し突っ込んで聞いてみようかと思い、具体的に今、何が気になっていますか?と尋ねてみた。するとその患者は少し考え込むとこういう話を始めた。
「なんていうか・・・外の世界は何もかもずっと続いていくんだけど、その中から自分だけがいなくなるんだっていうか・・・それを納得しなくちゃいけないんだ、っていうことをずっと考えてる」
今日もしれっと、しれっと。
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