2年前の冬、わたしの介護エピソードのベスト3に入る出来事がありました。
簡単に言うと、「冬場の母を注意深く見ておかないと、動かなくなる!」ということです。そのため、今回は12日間一緒に生活しました。
みなさんも体感されていると思いますが、認知症の症状には大波、小波があります。今回は、久しぶりにかなりのビックウェーブが来ました、いいほうの。亡くなった認知症の祖母は特に波があって、病院のベッドでは家に帰りたいとわたしに懇願しておきながら、いざ家に連れて帰ると「帰りたいー」って言ったりしました・・・どこへ??
正常に戻った母の質問
急に冷静に質問してくる母。
ふつうの会社員だと、12日間も休めません。ましてや、何度も何度も1週間単位で帰省する息子を、急に不思議に思ったようです。この生活もすでに5年目ですが、あまりにまともな質問をされると、こっちが狼狽してしまいます・・あたふた。
4年かけて作ったこのストーリーが、一番母が納得するようで最近はこういう説明を繰り返しています。
ある日認知症が完治したら・・・
魔法使いがいい大波を起こしてくれたおかげで、一時的でも正常な母を見られてそれはそれでうれしいです。しかし、それに対応する免疫が自分にないことに気づかされます。
母の妹の旦那さんがさとしさんなのですが、昨年本当に亡くなっています。母には伝えてないのですが、頭の中でいろんな人を殺してきた母が、いきなり正解を言ってきたことにまたまた狼狽してしまいました。
何かと鋭い母に驚きっぱなしで、この4年間で自分の都合のいいストーリーでやってきたことに気づかされました。
翌日には、また海深く潜ってしまった母をみてどこか寂しいような、でもホッとした複雑な気持ちになりました。もし明日、認知症が完治したら、わたしのように狼狽する介護者は多いのではないでしょうか?
できる認知症介護者は、介護者の都合のいい世界観を作れる人のことを言い、その世界観は認知症の人にとっても心地いいものでなくてはいけないということに気づきました。できない介護者は、現実で起こることに場当たり的に対処するだけで、世界観が作れない人のことを言うのだと思います。
よく認知症介護する家族は俳優になれと言いますが、演じるためには脚本が必要です。ストーリーが大切なわけで、むしろ介護家族は脚本家になるべきでは?そう考えるようになりました。
わたしはいろんな介護スキルが欠如しておりますが、それでもこの世界観を知らず知らずのうちに築けたことはすごいなぁと感心しました。
日頃、わたしの大企業勤め、優秀サラリーマン設定につきあってくださる皆さま、いつもありがとうございます!
今日もしれっと、しれっと。