驚くほど顔が小さく、脚が長いモデルさん。
TVを見るたび、「うらやましいなぁ、きれいだなぁ」 と思うのと同時に、「持って生まれたものが、そもそも違う」 こう感じることってありませんか?
持って生まれたもの・・・
認知症の介護が始まる前の状態、すなわち元々母が好きだったか、父を尊敬していたか? これって、認知症の症状うんぬんをはるかに凌駕する重要な要素では?そう思ったというお話です。
大嫌い!という変えられない過去
うちの場合、母親とは認知症になる前から仲が良く、息子に対する信頼もあり、逆に親に対する信頼もありました。認知症になった今、「えっ?」って思う言動が増えたとしても、それまでの信頼貯金があるので、まだ許せます。
もしこれが信頼がなく、嫌いな母親だったら・・・もの盗られ妄想ひとつとっても、全く違う反応をしていたはずです。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い(その人を憎むあまり、その人に関係するすべてが憎くなる)」ということわざがありますが、何気ない一言も暴言と解釈し、ちょっと手を挙げただけでも暴力に思えてしまう・・・
元々持った 「好き嫌いの感情」 は、認知症の症状をも客観視できなくなる大事な要素です。家族の場合は1年や2年どころじゃない、三つ子の魂百までと言いますが、まさにこれ。
それまで長年積み重ねてきた 「好き嫌いの感情」 は簡単に変えられません。介護者が許容できる範囲が好きと嫌いでは全く違うので、好きな人は認知症の症状に余裕で対応できても、嫌いな人にはただイライラを募らせるものでしかありません。
大嫌い!でも変わる未来
亡くなった祖母とは、よくケンカをしました。母ほど仲良くなく、信頼もほぼゼロでした。1番驚いたのは、わたしが20歳の時に起きた手帳事件です。突然見せられた手帳に、何が書いてあったか?
祖母: 「これがあんたに、今まで挙げた額ね」
生まれてからのお年玉、入学祝を今までいくら渡したか、すべて手帳に書いてありました。
くどひろ:「全部返すわ!」
恩着せがましい祖母に激怒したことは、23年経った今でも忘れません。
そんな威勢の良かった祖母も、どんどん小さくなり元気もなくなり、晩年はおだやかに。認知症テスト30点満点で5点しか取れない状態まで進行した覇気のない人と、対等にケンカしようとは思わないし、憎しみをぶつける気にもなりませんでした。
介護者は未来を想像できるか?
わたしがラッキーだったのは、祖母を看取ったので、最期の瞬間まで介護者の気持ちの変化が分かるという事です。どんなにムカついていても、最期は許せちゃうんだなぁ・・・人間って不思議、こう思ってます。
許せないほど強い憎しみを持っている人もいると思いますが、それでも看取る瞬間には半分以下の憎しみへと変化しているはずです。戦闘意欲のない相手に、全力のストレートパンチをお見舞いする気になれないのが、人間の本質ではないかと。
認知症の人に同調しましょうと本に書いてあっても、やっぱり嫌いならばなかなか実践できない。であれば、自分の元々持っている好き嫌いの感情といったん向き合ってから、嫌いな人はここに書いている未来を想像して介護すると、少しは違ってくるかもしれません。
数十年の感情の積み重ねと冷静にいったん向き合う、その後いろんな認知症介護のノウハウを学ぶ このステップを介護家族はまず最初にやらないといけないのかもしれません。
今日もしれっと、しれっと。
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