別居中の父の兄の奥さま(82歳)とは、父が出て行ってからもおつきあいがありました。
「歳を取って何でもかんでも覚えていることが言いわけではない、忘れることがいいときもある」
と認知症の母を見て、わたしにこう言った方です。母の妄想に、家族以外でつきあってくれた方でもあります。
ほとんど電話をしない母ですが、このおばさんのところには電話をして、相談をしていました。25年も別居中の父が帰ってくるはずもないのに、客間に灰皿を用意して、玄関にスリッパを並べる母。
3年くらい前の話ですが、せつないことするなぁ・・・認知症介護がまもないわたしにとって、ちょっと困った行動でした。今はこんな行動しませんし、むしろ新婚旅行に行けなかった!と怒ってます。ひとりの方がラクでいい、とも言ってます(笑)
こんな状況でしたので、おばさんの家にわたしひとりで行ってお礼を言ったり、母を連れていくことが当時は多かったです。手ぶらもまずいので、最初は東京のお菓子を持って行きました。
次に遊びに行くと、そのお菓子が残っていることがありました。それではと、コーヒー好きなおばさんのために、スタバのコーヒー豆を買っていきました。次に遊びに行くと、そのコーヒーがわたしに提供されました。
「お菓子もコーヒーもだめか~」
北海道旅行から帰ってきた人が、「北海道」と書いた置物をおみやげにしているような、場違いチョイスなのかな・・と思い、思いついたお土産が、ピースライトという「たばこ」でした。
おばさんはかなりのヘビースモーカーで、わたしが小さい頃は夫婦そろってピースという強いたばこを吸ってました。
彼女は末期の肺がんで、余命は1年といわれてました。しかし、1年どころか5年近く生きていて、余命宣告って当てにならないものなんだなぁ・・と思えるようになったのは、このおばさんのおかげです。
余命短い肺がんの人に、たばこを1カートンもおみやげに持って行くって、やっぱり非常識?
こう考えますよね・・・普通。余命をさらに縮める行為かもしれません。しかし、おばさんに持って行くと、
お菓子でも、コーヒーでも見せないような反応をしてくれて、心から喜んでいるようでした。
と言おうかとも思いましたが、結局なにも言わず「しれっと」たばこを、2年近くお土産にするようになりました。なんていうんでしょうね・・・余命のこととか、肺がんのこととか、途中からわたしも意識してませんでした。
ブログに、「しれっとしれっと」って書きますが、人生最強のしれっとはきっとこのときだったと思います。
抗がん剤や外科治療を一切せず、自分の天命を全うすると決めたおばさんでしたので、それならばいつもどおりにわたしも対応すべきであろう、そう考えた結果のたばこでした。
そのおばさんが亡くなったことを知ったのは、最近のこと。今年のお正月に知ったとき、慌てて駆け付けたものの、1年も前に亡くなってたという・・・遊びに行こうかと思ってたら、こんなお別れでした。
たばこ屋にいって、カートンで買うときの気持ちが、なぜか忘れられません。余命を縮める行為とか、不謹慎とか全くなくって、ただ喜んでくれているという気持ちだけで行動していた自分。たばこを買ったことは、今も後悔していません。
今日もしれっと、しれっと。