「認知症・がん」など、どうにもならないものと向き合うための『ネガティブ・ケイパビリティ』

認知症 がん

金曜日は父の話を書くことが多くなったのですが、たまたま「介護ポストセブン」の寄稿タイミングと重なったので、父の最新の状況や今までの関係については、そちらに書きました。

「介護ポストセブン」で書くことで自分の気持ちを整理しながら、しれっと原稿が書けたと思います。自分のブログでなくて、外部だからこそいいこともあります。気になる方は、読んでみてください!

今日は「認知症」と「がん」、両方のお話です。認知症という病気とは、5年近く向き合ってきました。一方、「がん」に関しては、祖母(子宮頸がん)のときに1年、そして父(悪性リンパ腫)で1か月向き合っています。介護する側は、この「どうにもならないもの」とどう向き合ったらいいかというお話です。

「認知症」も「がん」もどちらも治らない?

母の認知症と、父の悪性リンパ腫(血液のがん)・・・どちらも治る可能性はゼロではありませんが、治るよりも治らない可能性のほうが圧倒的に高いです。

介護する側や本人が病気を受け入れるかどうか、徹底的に病気と闘うかどうかは、発症した年齢、本人のやる気、経済状況、介護者のスタンスなどで大きく変わります。

わたしの場合は、「認知症」と闘うイメージというよりかは、上手につきあっていくという感覚で接しています。ただ、完全に諦めているわけでもなく、気になったらいろんな方法を試すスタンスです。一方の「がん」ですが、寛解(かんかい:がんが一時的、または完全に消える状態)している人は、世の中に結構いらっしゃいます。だから、母の認知症が治る確率よりも、父の余命が伸びる確率のほうが高いのでは?そう思っています。

こんな状況になることを予測してか、たまたま読んでいた本が今の自分とピッタリでした。そこには「どうにもならないもの」との向き合い方が書いてあって、認知症やがんで介護している人やご本人に使えると思います!

読んでいる本は「ネガティブ・ケイパビリティ」

皆さんは「ネガティブ・ケイパビリティ(Negative capability)」という言葉をご存知ですか?

直訳すると「負の能力」、どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力のことを言います。わたしがいつも「しれっと」と自分に言い聞かせているのと、すごく近い考え方です。著者の帚木蓬生(ははきぎほうせい)先生は小説家であり、精神科医です。

特に印象に残った部分を引用します。

精神科医になりたての頃、私は祈祷師というか占い師、伝統治療師、いわゆるメディシンマンが嫌いでした。(略)なぜ嫌いだったかというと、患者をたぶらかして、非科学的な治療をする詐欺師だと思っていたからです。
引用元:ネガティブ・ケイパビリティ(朝日新聞出版)

精神科医でなくても、同じように思っている人は多いと思います。しかし、箒木先生は精神科医として10年目に、ある本の翻訳をしたとき、こういう文章に出くわしたそうです。

「現代の精神科医は薬の効き方についてはよく知っているものの、患者の扱い方に関してはメディシンマン以下だというのです」

占い師のほうが、精神科医よりも患者の扱い方がうまいと・・・。もうひとつ面白いたとえ話があったので、わたしの言葉を少し交えて書きます。

難病で苦しむ患者のために「遠い山の頂きに生息する薬草を取ってこい!」という占い師がいたとします。どう考えてもうさんくさいのですが、この場合、薬草の効果自体は重要ではないと本にあります。

患者はその薬草が届くまで生きる希望を持ち続けることができるし、取ってきたとしても薬草が効いたような気がして元気になることもあります。患者は家族に対して、そんな遠い山まで行ってくれたことに感謝し、探しに行った家族も頑張ったという達成感がある・・・まさかの占い師の言葉で、みんながハッピーになるという不思議な結果になります。

確かにお薬をただ渡した医師よりも、いろんな副産物を生みだした占い師の方をわたしは評価しますし、何より患者をその目でしっかり見ているのは占い師のほう・・・なるほど!と思いました。

この話、認知症やがんになった家族を持つ人なら、痛いほど分かると思います。医学が進歩したら、認知症の特効薬が開発されるかも・・・ユマニチュードに変わる新しい認知症ケアが見つかるかも・・・希望的な観測を持って介護をしているご家族も多いと思います。そうやってなんとなく時間稼ぎしているうちに、好転することもある・・・それもネガティブ・ケイパビリティのひとつです。

結局、箒木先生はご自身の診療所を立ち上げたとき、お祓いをお願いしたそうです。精神科医が祈祷師を尊敬するって、面白いなと思いました。

第一選択はもちろん医療ですよ

わたしも最初は、がんなら抗がん剤、外科手術、放射線治療だし、認知症なら抗認知症薬を考えます。しかし、これだけでは治らない、どうしようもないときに、薬草を探しに遠い山へ行ったり、祈祷師に頼ることを全否定できない自分がいます。

たとえ、その効果がなかったとしても、座して死を待つより、希望を持ったり、可能性にかけるというプロセスを踏んでいるだけで、患者のプラセボ効果(効き目のないはずの薬や偽薬でも、快方に向かうこと)が発揮されることだってあるだろうし、家族も救われます。「溺れる者は藁をもつかむ」ということわざがありますが、まさにこのことですよね。

「がん」や「認知症」といった「どうにもならないもの」たちに対して、逃げ出さないで、踏みとどまって、見届ける・・・そういったことも、介護者として大切な能力なのだと思います。これ以上詳しくは書けませんが、「ネガティブ・ケイパビリティ」という考えを少し知るだけで、介護者も患者も救われることもあります。医学ですべては解明できませんからね・・・

そういえば昨日、胃がん検診をしてきました。発泡剤でお腹を膨らませ、バリウムを飲んで、台の上をのたうち回りました。「ゲップはするな、でも息を吸って吐け」という理不尽な指示を受けながら、「まな板の上の鯉」ということわざを思い出しました。すると、

「胃の膨らみが足りないようです、追加でこちらを・・・」

ゲップもしてないのに、発泡剤とバリウムの「おかわり」を頂きました。「替え玉はいらねーんだよ!」と言いたくなりましたが、指示に従い、無言で言われるがまま台の上を1回、2回と回りました。こんなことって、あるんですね~

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今日もしれっと、しれっと。


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【わたしの書いた最新刊】
東京と岩手の遠距離介護を、在宅で11年以上続けられている理由のひとつが道具です。介護者の皆さんがもっとラクできる環境を整え、同時に親の自立を実現するために何ができるかを実践するための本を書きました。図表とカラーで分かりやすく仕上げました。

4件のコメント

うちは昨年、忘れもしない1/20に両親と病院に行き、母の軽度認知症を言い渡され、翌週1/27、また両親と病院に行き、今度は父の肺癌ステージ4を言い渡されました。
父は苦しい治療はもう避けたいようでしたが、母の様子を見て(当時は薬が合わなくて別人になっていました)、積極的な治療に踏み出しました。
でも、元々間質性肺も合ったので落ち着いていたそちらを抗がん剤で起こしてしまったようで(私の個人的な意見)、最後は入院数日で6月に亡くなりました。
母を自分が何とかしなければという愛ゆえの選択でした。
その後、合う薬が見つかって忘れっぽいだけの華やかで明るい母に戻ったところを見せたかった。
そして私は10年来のそううつ病。
右半身不随の母の介護で過労で心不全で突然倒れて無くなった義父の二の舞にはならぬよう、悪循環は繰り返さぬようにと独り暮らしの実母と義母(こちらは義妹がメイン介護)をしれっと支えるようにしています。
いつも参考にさせて頂いていますが、うちもうまくいってますよ!
鬱でも記憶力めちゃくちゃになるから母の気持ちが少し分かるんです。
忘れることに不安を覚えさせないことと自分に自信をなくさせないこと。
それが一番かなと思っています。

すみこさま

ブログ読んで頂き、そしてコメントもありがとうございます。

母の気持ちがご自身でもよくわかるというコメント、とても深いと思いました。おっしゃるとおり、自信をなくさせないことってわたしも大切だと思っています。

くどひろ 様
『認知症』と『がん』 。私がもし、死に方を選べるのなら、がんを、といつの頃からか思ってます。

現在介護してる母は認知症ですが、その母もすぐ上の姉も認知症で、それぞれの家族は苦しんで介護をしていたのを近くで見ていたからです。
対して、父は2つのがんを経験し死に往く何時間か前までかすかな声でしたが自分の意思で会話が出来ました。

今、生きているけれど本来の自分ではない認知症の母と接していると、本当に可哀想に感じますが、いざ、本人と会話をすると『もうーいい加減してよ…』という投げやりな気持ちになり、そして、そんな自分を嫌になる… この悪循環の原因は『認知症』だと思うから。

近い将来私を介護するかもしれない子供たちの為に、せめて自分の死に方は『がん』になれるように、と願っている私です。

奈都さま

まさに先日書いた記事(下記URL)と合致しますね。
https://40kaigo.net/care/alzheimers-disease-care/14066/

わたしはがんの人がたどる「死の受容プロセス」に自分が耐えられるか・・・それだけメンタルが強いか分かりません。もし認知症なら、このプロセスを感じずに済むかも・・そう思うと、認知症もありかなと思ってしまいます。確率の低いピンコロが理想かも・・・

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ABOUT US
工藤広伸(くどひろ)介護作家・ブロガー
1972年岩手県盛岡市生まれ、東京都在住。
2012年から岩手でひとり暮らしをするアルツハイマー型認知症で難病(CMT病)の母(81歳・要介護4)を、東京からしれっと遠距離在宅介護を続けて13年目。途中、認知症の祖母(要介護3)や悪性リンパ腫の父(要介護5)も介護し看取る。認知症介護の模様や工夫が、NHK「ニュース7」「おはよう日本」「あさイチ」などで取り上げられる。

【音声配信Voicyパーソナリティ】『ちょっと気になる?介護のラジオ
【著書】親の見守り・介護をラクにする道具・アイデア・考えること(翔泳社)、親が認知症!?離れて暮らす親の介護・見守り・お金のこと(翔泳社)、医者には書けない! 認知症介護を後悔しないための54の心得 (廣済堂出版)ほか