認知症の母の頭の中で作られたこの話ですが、3年以上経った今も言い続けています。ものわすれ外来へ通院していますが、医師が家に来たことは1度もありません。
この作話に対するわたしの対処法も、3年でこのように変化しました。
初期のわたし:「いやいや、先生は1回も家に来たことないよ」→ 母:「わたしが間違うはずないでしょ」
認知症の勉強をしたわたし:「あーそうなの、先生来たんだ」→ 母:「そうなのよ、夕方いきなりきてハンコ要るって」
教科書的な対応をきちんとしてきたのに、わたしの閾値を軽く超えてきた母。
改めて認知症介護の壁にぶつかったらお世話になっている、川崎幸クリニック院長杉山孝博先生の認知症の人のこだわりへの8つの対処法を読み返してみました。
①こだわりの原因をみつけて対応する②そのままにする③第三者に登場してもらう④場面転換をする⑤地域の協力、理解を得る⑥一手だけ先手を打つ⑦本人の過去を知る⑧長期間は続かないと割り切る―という方法だ。
引用元:http://www.alzheimer.or.jp/?p=3380
さらに、周囲が説得したり、否定し続けるとこだわり続けるという教えもあるので、それも実践したつもりでした。効果はもちろんあるし、対処法としてベストだと思います。
しかし、3年以上もこだわりが続くとは、正直思ってもいませんでした。母の数あるこだわりの中で、消えるこだわりもたくさんありますが、母の場合は何パターンものこだわりが、何年にもわたって残っています。
作話も100回以上聞くと、介護者自身も変化する
医師・介護職、遠くの親族が「ハンコの話」を聞いたところで、何の疑いも持ちません。また、わたしがハンコの話でイライラする理由も、あまり想像できないと思います。
同じ話を100回以上聞かされ続けると、ある日を境に「ハンコ」というキーワードが出ただけで、「またか!」と心の中で言ってしまうし、ビクッとしたり、ドキッとしたりもします。
わたしも対処法が分かっているのですが、こんな回数は想像していないので、気づいたら心の中のコップの水がいっぱいになっていた、そんな感じです。
正攻法だけではどうにもならないことも
介護者が、3年以上同じ話を聞かされ続けたときの対処法なるものを、見つけたことはありません。認知症の症状は人それぞれなので、正攻法ではどうにもならないケースは多々あります。
わたしもイラっとすることが今後もあると思いますが、正攻法8割、正論で言い返す2割くらいの気持ちで接していこうかと思います。正論で言い返す意味は、自分自身のガス抜きのためです。そのほうが介護トータルで見たときに、母に優しく接することができると考えているからです。
正攻法を我慢して貫いていては、わたしがいつかドカン!と爆発する日がくる気がします。そうならないよう、ほどほどにガス抜きをするという感じです。
裏を返せば、母は決まった刺激に対して、決まった反応を示すので、記憶がしっかりしているとも言えます。決まった反応がなくなってしまったときは、認知症が進行したというバロメータにもなると思うので、この反応があるうちはまだ元気!と思うしかないと考えています。
認知症の人が長期に渡って、同じ話を繰り返すというケースがどれだけあるのか分からないのですが、同じような悩みを持つ方はゼロではないと思っています。
もうひとつ、先日のものわすれ外来で「強迫性障害」の話があり、それに妙に納得したところもあります。
母は元々、ガスの元栓を何度もチェックする人でしたし、玄関の鍵を閉めたかも何度もチェックする人でした。その性格の名残が、長期のこだわりを生んでいるのかもしれません。
独居ということへの隠れた不安、デイサービスにきちんといかなければいけないという不安、記憶が思い出せないという不安があるのかもしれません。強迫性障害の線で薬物治療が始まったら、母のこだわりが消えるのかも・・・
今日もしれっと、しれっと。
くどひろさん、こんにちは。
強迫性障害、お母さまは、要素が強いのかもしれませんね。
亡くなった母もそうでした。
殊に空気と水に対しての、この二つはとても清潔と言う意識が強く、水道代が高額請求に成る程洗濯に水を使う。
当然自分の手洗いも、手先指先、真冬でも肘の下までじゃぁ〜じゃぁ〜と水を掛けて洗い、施設入所して、家事の6割程は他人さまにお任せする生活になっても、手腕があかぎれに成る程で、毎度クリームの要求と、治療法のお尋ねが続きました。
洗ってる事を忘れているのか、覚えているけど止められなかったのか、今となっては判りません。
私も治療の余地ありと考え、日々近くでお世話をしてくれる義姉にお願いしましたが、医師からは、精神疾患的に、脅迫性障害の治療をすると、薬が強すぎて認知症の経過にも悪く影響するからと言われ、治療はできませんでした。
母も、健常な時から、鍵、通帳、判子、戸締り、この辺りの確認が何度も何度も必要でしたが、実際に紛失してしまった事は、私の知る限りありませんでした。
だからこそ、障害なのでしょうね。
特筆すべきは、お財布に関してかもしれません。
施設入所しても、デイサービスでお買い物に連れ出してくれる事がありましたが、母は衰えて尚
お財布を紛失する事は一度もありませんでした。
母が亡くなった後に、なんとなく母らしくない、真新しい状態の良いお財布に違和感を持った私は
義姉に「このお財布は、義姉さんが買ってくれたものですか?」と確認すると、紛失する事は一度も無いけど、あまりに古くてボロボロで(母はボロ財布が好きでした)みすぼらしいので、新しい物を使って頂こうとお渡ししました、と言う事でした。
クドひろさんのお母さまのハンコと同様、母はお財布に対して強い執着を持って居たので、どんなに大騒ぎしても紛失は一度もなく、お財布が新しくなっても「お財布」と言う事をきちんと認識出来たと言う部分は、「何でも忘れる訳じゃ無い、忘れずに居る事も、部分も有る」と言う素晴らしい証だなと思います。
自分もてんてこ舞いさま
なるほど、情報ありがとうございます!!
うちは財布は失くすし、雑に家事をこなすことが多いので、イメージ記憶が頑固に残り消えないという言い方になるかもしれません。
それ以外の新しい情報がインプットされないから、イメージ記憶の中でだけ生きているのかな?と思うこともあります。