まずは、こちらのツイートから。
認知症特集が載っている婦人公論を発見しました。ヘルパーさんにお願いして、認知症の母自らがリクエストして購入したものです。うーん・・・どういう心境なんだろうか?とりあえず回収して、数日様子を見ます。 pic.twitter.com/McljeHjIvt
? 40歳からの遠距離介護 (@40kaigo) 2014, 6月 4
「認知症」 という言葉に対しての、認知症の母(70歳)の反応は一言でいうと微妙。
・自身が 「認知症」 であるという認識があることもある
・「年相応のもの忘れ」 だと思い込んでいることもある
・アルツハイマー型ではないと思っているし、ピック病は言葉すら知らない
・自身は「認知症介護」で苦労した経験があることは分かっている
「認知症」 と母に直接いう事も、たまにあります。ただ8割は「もの忘れ」 という言葉で母に伝えます。本人は「認知症」 とはっきり理解している時もあるし、「年相応のもの忘れで、認知症一歩手前」 と思っている時もあります。そういう微妙な状態で生活しています。
認知症特集がテレビで始まると、決まって母はこういいます。
母: 「ねぇ、わたしの何がおかしいの?会話はちゃんと成り立っているでしょ」
わたし: 「成り立ってる、成り立ってる。大丈夫」
母: 「でもね、お隣のAさん。わたしが話してたら、「あら、おかしい!」って。」
わたし: 「ふーん、そうなんだ・・・」
これがお決まりの1セットで、これを何ループか繰り返します。会話の最中にお隣さんが 「あら、おかしい」 なんていうはずもなく、お隣さんが親戚に変わったり、いろんな人に 「あら、おかしい」 と言われたことになってます(笑)
婦人公論を読んでいたせいでしょうか?なぜかこの日はこのループの “続き” がありました。
母: 「なんで、「あら、おかしい」なんていうのかしらね!!」
わたし: 「気にしなきゃいいでしょ」
母: 「いや、おかしいって言うなんて、おかしい」
この後も認知症に関する質問は続き、30分近くこんなやりとりが続きました。
わたし: 「いつ終わるのか・・・・」 (心の中)
自分の部屋に逃げればよかったのですが、ついついやってしまったんですよね・・・ここからはふだんは絶対に言わない言葉です。
わたし: 「例えばね、病院(認知症の)のこと。病院は靴を脱がないんだけど、脱ぐもんだと思っているでしょ」
母: 「看護師さんがね見送ってくれて、靴を履かせにきたんだよ」
わたし: 「それ、歯医者のことでしょ。病院は脱がないから。」(病院の玄関の写真を見せる)
母: 「・・・・いや、わたしがひとりで病院に行った時は、靴履かせてもらった」
わたし: 「病院にひとりで行ったことないから」
母: 「いや、ひとりで行った!」
言う事言う事が全部 「取り繕い」 で、いつも以上にしつこい・・・止めない・・・それをわたしは 「正論」 で返すっていう事をやってしまいました。火に油を注ぐとはこういう事で、この後も30分近くこの会話が続きました。
どう収束したかというと、最終的にはいつものパターンで、
わたし: 「そうだったね、ひとりで行ったね。靴履かせてもらったね。」
これが認知症の人に対する対応の正解だという事は、痛いほどに分かっています。9割はどんな「取り繕い」もこれで対応しているのですが、あまりにしつこい時とか、こちらの精神状態があまりよろしくない時などは、つい正論返しをやっちゃいます。
「やっちまったなー」
クールポコ状態で寝るのですが、翌朝になると母は忘れています。それを見て救われるのですが、しかし学習しねーなー・・・自分。この週は手足が不自由ということもあり、外出リハビリもしました。
自転車を杖にして、ゆっくり歩きます。たまに自転車を漕ぐときは、わたしが5m先をランニングして車が来ないかチェックします。先日の講演会でもあった、「自分でできる事は、自分でやらせる」 という思いもあって、こういう事をやってます。
以前は買い物に自分で行く事もあったのですが、最近はヘルパーさんがやってくれます。自分で行く事はほぼないんですが、それでもケアマネさんやヘルパーさんには、
母: 「たまに買い物に行ってます!」
とウソをつきます。自転車が復活すると徘徊リスクも高まるのですが、それでも自転車リハビリは今後もやっていきます。たまには自分で買い物をという願いもあって・・・で、今回一緒に外を出歩いて思ったのは、
・信号をよく見ないで、横断歩道に飛び出そうとする
・ATM操作が以前はできたが、今回は何回かミスしてなんとかできた
・見切り品というだけで食いつくが、それは冷蔵庫にありますよー
・以前はできた賞味期限チェックをせず、目の前のものをすぐとる
微妙・・・でもこの程度ならば、闘う介護福祉士の和田さんは巡回させるんだろうな・・・
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