今日は『なぜ孫の私に40歳という若さ?(若くないけど・・)で、遠距離介護がまわってきたか』という話です。
簡単におさらいすると・・・
祖母(89歳)の末期の子宮頸がんと余命宣告、そして母(69歳)の若干早い認知症発症、母の妹は夫が要介護で目が離せないというところまで、ブログで書いてきました。いろんな方にここまで話すと、決まって 『ところでお父さんは何してるの?』 という質問になります。今日はその父の話です。
22年前に出て行ったのですが・・・
22年前というのは、私が大学入学の時です。わたしを地元の国立大学に入学させたかった父でしたが、東京の大学が受かってしまいました。それに賛成した母に怒って、家を出ていってしまいました。
わたしはもちろんきっかけでしかなく、長年婿としての不満もあったんだと思います。その父は2006年に脳梗塞で倒れました。奇跡的に復活を果たし、リハビリも真剣にやったため、今ではほぼ普通の生活を送れていますが、私自身33歳の時に、1回目のプチ遠距離介護はスタートしていたわけです。
プチとわざわざ書いたのは、すぐ病院に行ったから早く復活できたので、わたしの遠距離介護はそんなにせずに済んだのです。ただこの時意識したことが2つ。
・夫婦同士お互いの面倒はみないということ。子供たちはそれぞれを面倒みないといけない
・プチ遠距離介護で、距離のハンデというのは相当あるなと実感したこと
このプチ経験がきっかけで、貯金をかなりして、いつ何が起きてもいいように準備をしました。いつ何がというのは医療費の準備というよりかは、自分が離職しても生活できる蓄えという意味です。今だから言えるのは、結果そういう準備をしていたから、今回の遠距離介護で仕事が辞められたということです。
前にも書いたのですが、私は仕事と介護の両立を、その両立をする苦労を美化することなく、仕事を捨てて介護だけに集中する生き方もありと思っています。もちろん家族構成や住宅ローンなどの経済状況を考えると、そんな選択をする人は少数です。両立させたいと思うのが普通です。一方で介護の重さ、介護する人数が、余命など、これらの経済状況すらすっ飛ばして、選択を強制的に迫ってくることもあります。
もうひとつわたし自身が介護疲れで仕事もボロボロというのはいやだったので、今介護に専念できている状況は幸せと自負しています。強制的に迫ってきたけど、準備があったから経験があったから自分は待ち構える余裕もあった・・・のかな??こういった話もいずれ別記事にしますね。
結局孫にまで回ってきてしまった
父と母の別居、その母の認知症、叔母も自分の夫の介護・・・結局祖母の面倒を見られる人が孫しかいなかった・・消去法でそうなってしまったわけです。その運命の瞬間はなんとなくいつかはあると思いながら、急に来てしまったので言うほどショックでもなくむしろポジティブにとらえるようにしました。
父にこの状況を報告をしましたが、別居22年の反応はというと 『そうか・・・』のみで、特に何をしてくれるわけでもありません。期待もしてなくって、予想通りの回答だったけど。迷惑だったのが、葬式の手配を仕事中にも電話してきてうるさくいうことでした。
『祖母の葬式は家族葬にしろ、互助会は入っているのか?』 『知り合いの葬儀社知ってるから、そこを使え!』
久々に父と話した内容がまさかの葬式話、しかも祖母はまだ生きているのに!連日のようにわたしと妹にこの件で、酔っ払いながら電話してくるので、次第に無視するようになりました。また介護で必要な車は父の別宅へ行って借りていたのですが、会いたくないので別途車を調達することにしました。
なぜ孫の私に遠距離介護が回ってきたのか? 孫以外に介護できる人がいないから・・・ これが理由です。わたしは45歳~50歳くらいにそんな時期が来ると覚悟していたのですが、まさかの40歳でした。ちょっと早いなぁ・・・・ この葬式話は正直迷惑だったのですが、ひとつだけ感謝したいことがありました、それはまた次回!
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