長谷川式認知症スケール30点満点で9点しか取れず、形式上重度の認知症と判定された母。
できないことが増え、そのスピードは急加速してみたり、ブレーキがかかったり。できることは頑張って続けて欲しい!と強く思っていますが、ほとんどの家事は自分がやったほうが圧倒的に早いのも事実。
そんな葛藤の中、こんな工夫を粘り強く続けているお話です。
認知症の母がやる家事の現状
例えば、洗濯。
母は洗濯機を「とりあえず」回せますが、洗剤の投入を忘れますし、洗濯が終わっても干さずに数日放置します。またうまく干せたとしても、お昼を過ぎるとあまり乾いていなくても畳んで棚に戻すため、生乾き臭がする衣類が増えます。
次に、洗い物。
母は食器用洗剤と、ハンドソープの違いが分からないので、洗剤自体を使わなかったり、石鹸で食器を洗ったり、全く洗わなかったり、ふき取りをやらなかったり、指定の場所に片づけなかったりと、かなりハチャメチャです。
あとは、布団。
母は布団を敷きますが、真冬なのに掛布団がなかったり、古いせんべい布団を敷いたり、電気毛布を忘れたりします。
すべてわたしがやったほうがラクだし、早いのですが、それはやりません。イメージとしては、「半分手伝う」ようにしていて、残りはひどい家事でもやってもらい、自立を促します。
洗濯は、洗剤を入れて洗濯機を回すところまではやりますが、干す作業はお願いします。乾いていない洗濯物を畳む前に、自分の部屋に洗濯物を隠し、乾いたところで衣類を畳んでもらいます。
食器洗いは、母より少し先に食べ終え、台所へダッシュしてフライパン、まな板、鍋など、大物系をある程度洗い、拭き取り、所定の位置へ片づけます。母が使った食器類だけは、母自身で洗います。洗い残し、洗い忘れ、拭き忘れがありますが、次の食事の準備の前にわたしが洗います。
布団はベッドにすれば解決しますが、筋委縮が進行する病気なので、敢えて布団の上げ下げをしてもらっています。
わざわざ二度手間で、面倒なことをやっている理由は、認知症の進行と介護者の葛藤からです。
認知症の進行と介護者が持つ葛藤
「やらなくていいから」を連発すると、母はだんだん萎縮して、洗い物も洗濯も自分でやらなくなるでしょう。母の仕事や役割を奪えば、それは認知症の進行を加速させてしまうことにつながります。
「仕事を奪わないで、もっと母にやり続けてもらえばよかった」と後悔しないために、二度手間というステップを踏んでいます。ものすごく遠回りをしているように見えますが、これはある意味近道なのではないか?と思っているので、続けられます。
数字で示すと、母とわたしの洗い物の割合は、10:0で母でした。それが7:3になり、今は3:7という感じです。イメージでは、あくまで「半分手伝う」という感じですが、割合は家事によって変わります。
どの家事も、0:10になる日がやってくるでしょう。ある日突然ショックを受けるよりも、少しずつ受け入れ、覚悟しながら、その日を迎えたときに「二度手間でも、最後まで母の役割を残す努力はした」と自分で納得するための遠回りです。
時間がなく忙しいとき、認知症の人の自立を促し、待つのは難しいかもしれません。それでも2回に1回、3回に1回は、自立を奪わないようにして欲しいです。それは認知症の人のためでもありますが、どちらかというと自分が将来、自立を奪ったことを後悔して、罪悪感を持たないためです。
音声配信voicyの最新回は、通いで介護を続ける理由です。昔は、同居で介護すればいいんじゃない?と言われたものです。voicyに頂いたコメントの返事の時間もあります↓
今日もしれっと、しれっと。
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日常の介護が大変と思っていると、せっかく「手伝うよ」と認知症の主人に言われても「かえって邪魔なんだよねぇ」と思う場面よくあります。本人の自尊心のために、「ありがとう。助かるよ」と感謝を伝えつつやってもらうようにしていますが。結構大変です。
将来自分が後悔しないためという発想はなかったので、大変勉強になりました。確かにそうですね。
今だけじゃなく、先を見ながら介護していきたいと思います。
いつもありがとうございます。
マルコさま
割と介護を自分中心に考えているところが、わたしの場合はあります。
介護=介護者のため と思われがちですが、介護者にもwinが必要かなといつも思っていて、win-winが理想です!