認知症の母が繰り返し言うある格言から学んだこと

格言

遠距離介護の中断も、3か月目に突入した。

新鮮な介護ネタは枯渇してしまったが、これまでの7年半の蓄積は相当あるので、思い出しながら記事は書いていきたい。

いくつになっても、気持ちは20歳って言うでしょ

76歳の母のこの言葉を、わたしは100回以上受け止めていると思う。

例えば、テレビ朝日の『あいつ今何してる?』という、同級生が今何をしているかを追うバラエティー番組を見ているときや、『徹子の部屋』で昔の映像が流れるときに言うことが多い。

懐かし系番組を見た母はきっと、自分の20代を想像しているのだと思う。

母は認知症なので、今日デイサービスに行ったかどうかも分からない。20分前に食べた夕食の献立も思い出せない。東京に居るわたしと一緒に生活していると勘違いしていた時期もあったが、コロナの今、その勘違いも忘れてしまったかもしれない。

母は直近の記憶をたどるのは本当に苦手だが、今から45年~55年前の記憶はよく思い出す。

例えば、訪問リハのPTさんに対して、繰り返しこの話をする。

うちの息子はね、本当に歯医者を嫌がってね。病院見ただけで、うわーんって泣いて。あまりに泣くもんだから、仕事中のお父さんに電話して、励ましてもらってね。もう、大変だったのよー

アラフィフなわたしでも、3歳当時の泣き虫話をPTさんに知られるのはなんだか恥ずかしい。1回ならいいのだが、毎週毎週この話をされると、さすがにイヤになる。自分では全く記憶はないが、たぶん母の言っていることは正しいと思う。

わたしはこんな話で、小さな抵抗をする。

くどひろ
うちの母も、デイサービス行きたくないって言って、そこの椅子にしがみつきましてね。30分近く説得して、やっとデイに行ってもらったことが何度もありましたよ。今では親子の立場は、すっかり逆転してしまいました。

この会話がワンセットになっていて、3人で笑って終わるシステムになっている。どっちかっていうと、40度の熱を何度も出したエピソードのほうを話して欲しいのだが、それは叶わない。

いくつになっても気持ちは20歳

認知症の母の記憶の主戦場は、会話から推測するに30代~40代の頃だと思う。わたしを産み、妹を産んで、子育てに奮闘していた頃だ。

その当時の気持ちと、76歳の今の気持ちを比較する力が、認知症の母には残っているのかどうかは正直なところ微妙である。テレビの映像に対して、反射的に「気持ちは20歳」と言っているだけなのかもしれない。わたしの歯医者の話なんて、完全に反射的に話している。

ただ、「気持ちは20歳」っていう母の格言は、本当にその通りだと思う。

アラフィフの自分は、肉体も記憶力も、若い頃よりは落ちているのは明らか。ただ、気持ちの根っこの部分は、母の言うとおり20歳の頃と変わってないと思う。

例えば、新しいものへの好奇心は変わらない。争いごとは昔から好きじゃなかったが、未だにそれも変わらない。人に対する優しさの部分、怒りの沸点、切ない、悲しいと思うポイント、そんなに20代と変わってない。

でも、20代の自分と明らかに違う点がある。精神力や人間力だ。

20歳の頃に戻りたいか?と言われれば、肉体だけ戻って欲しいとは思う。でも、この年齢まで培ってきた精神的な部分、総合的な人間力を置いてまで、若返りたいとは思わない。

社会に出て、いろいろ揉まれてきた経験であったり、介護を経験したり、祖母や父の看取りを経験した今のほうが、精神的にも人間的にも20歳の頃をはるかに上回る。

あの頃の自分は「小僧」で、「青二才」なのだ。今のメンタルを持ったまま、20代の肉体を手に入れたら最高なんだけど、精神も20代にリセットされるのは、本当に勘弁して欲しい。

自著にも書いたのだが、心技体ではなく体技心の順番が大切だとわたしは思っているので、「気持ちは20歳」でいるためには、自分の健康維持が大切だ。体が弱っていては、気持ちは70歳にだってなり得るのだ。

母の記憶が本当に30代~40代を主戦場に生きているのなら、認知症になった今のほうが幸せなのかもしれない。亡くなった夫に対して黙っていた母が、最近になって毒づくことからも、いかに旦那に我慢していたかが分かる。

ただ夫に対する愚痴よりも、「気持ちは20歳」を多く連呼しているから、なんとなく幸せそうに見えるのだと思う。「何が20歳なの?」と聞いてみたい気もするが、おそらく具体的なエピソードは出てこないだろうから、敢えて黙って聞くようにしている。

記事タイトル下の写真「諦めたら、そこで試合終了ですよ」は、スラムダンクの安西先生のセリフ。「いくつになっても、気持ちは20歳」って、誰かが言った格言なのだろうか?

今日もしれっと、しれっと。


にほんブログ村 介護ブログへ


【わたしの書いた最新刊】
東京と岩手の遠距離介護を、在宅で11年以上続けられている理由のひとつが道具です。介護者の皆さんがもっとラクできる環境を整え、同時に親の自立を実現するために何ができるかを実践するための本を書きました。図表とカラーで分かりやすく仕上げました。

2件のコメント

こんにちは。初めてメールします。
私は現在、要介護1の実母と同居する、くどひろさんと同い年の♀です。
介護は始めたばかりで、周りには同じ状況の人はまだまだおらず、手探りの毎日です。
くどひろさんのブログは、本当に参考になり、どうしたらいいんだろう…と、途方に暮れると必ず共感とヒントがもらえます。そして、くどひろさんの言葉選びと文章の上手さに、感動しています。これからも勉強させていただきます。頑張ってください!

フィンフィンさま

コメントありがとうございます!!

自分の本に書いたのですが、そろそろ同世代の友人たちも介護を意識し、数年後には介護が始まると思います。(あるいは介護中だけど、オープンにしていないだけの人も多い)わたしは40歳のときに、フィンフィンさんと同じ状況でした。本当に周りに相談できる人がいなくて、こりゃ困ったと。それでこのブログを始めて、介護について発信し続けていたら仲間が増えていきました。

応援ありがとうございます、ブログに気軽に遊びにいらしてください!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

ABOUT US
工藤広伸(くどひろ)介護作家・ブロガー
1972年岩手県盛岡市生まれ、東京都在住。
2012年から岩手でひとり暮らしをするアルツハイマー型認知症で難病(CMT病)の母(80歳・要介護4)を、東京からしれっと遠距離在宅介護を続けて12年目。途中、認知症の祖母(要介護3)や悪性リンパ腫の父(要介護5)も介護し看取る。認知症介護の模様や工夫が、NHK「ニュース7」「おはよう日本」「あさイチ」などで取り上げられる。

【音声配信Voicyパーソナリティ】『ちょっと気になる?介護のラジオ
【著書】親の見守り・介護をラクにする道具・アイデア・考えること(翔泳社)、親が認知症!?離れて暮らす親の介護・見守り・お金のこと(翔泳社)、医者には書けない! 認知症介護を後悔しないための54の心得 (廣済堂出版)ほか