2週間東京、1週間盛岡という生活を続けて4年目になります。当初は1週間で往復してましたが、工夫を重ねて今は落ち着きつつあります。
遠距離介護をしている多くの人は、こういうサイクルで帰省していないはずです。データがないので推測でしかありませんが、仕事が忙しい方は正月とお盆だけかもしれません。1か月に1,2回、土日だけという方も多いのではないでしょうか?
母の思いがけない「よい妄想」
盛岡に着いて、母と2時間ぐらい一緒に過ごすと、必ずこう言います。
居間にはアナログカレンダーがあり、○がついている日は息子が盛岡に居ます。これは訪問看護師さん、ヘルパーさん、作業療法士さん、ケアマネさん、共通の認識です。
母はこの2時間、アナログカレンダーを何度も何度も見て、○印で息子が今日来たことに改めて気づくのです。気づく前の母は、どういう思いでいるのでしょう?
1週間前くらいから、息子と一緒に生活している
そのままですが、たぶんこうです。
2時間あるいは独居中のどこかの時間でも、息子と一緒に生活しているという「いい妄想」に包まれ、居間のアナログカレンダーの○印を見た瞬間に霧が晴れて、「現実」の世界に戻るのです。
「そこに居る」ことの意味
たまにしか帰省していなかったら、こういう妄想にはならなかったはずです。1週間という長いスパンで帰省できているから、同居と錯覚しているのです。
遠距離介護なのに、同居する感覚でいてくれるって、理想的ですよね。リスクを取って働き方を変えるという選択をしたわけですが、長い帰省には意味があったんだって思います。もうひとつ分かったこと、それは、
認知症と言えど、一緒に居る時間は裏切らない
そう感じるのです。「そこに居る」だけで、十分意味のあることではないかと。何もしてあげられないと嘆く介護者の方、決してそんなことないです。居るだけでいいし、価値あることをしていると思います。
ちなみに認知症の祖母と8年会わなかった神奈川の叔母は、娘だと認識してもらえませんでした。逆の意味でも、一緒に居る時間は裏切りません。
わたしは東京の超大企業に勤めるサラリーマンです
母は息子に帰ってきてほしいと思っているかというと、そうではありません。奥さんや会社に迷惑かけると思っています。介護離職したことを伝えたら、わたしのために・・・と落ち込むと思います。
なので、わたしは介護休暇を年に何度ももらえる、東京の超大企業に勤めるサラリーマンということになっております。(こんなに帰省できるのは、超大企業ぐらいだろうという意味)本を出したとか、ブログで生活してるとか、うっかり看護師さんが言おうものなら、全力で
「しーっつ!」
と言います。このストーリーが崩れること、例えばテレビ取材や、顔出しで雑誌取材はNGなのは、こういった理由です。ある日、新聞で息子の写真を見つけ、認知症の本を出したことを知ったら、びっくりすると思うんです。そして自分は、本に書かれるほどの認知症なんだ・・・と思うのではないかと。
考えすぎ、どうせ忘れちゃう、誰も見てない・・・確かにそうなんですが、変化に弱い母です。急に辞めてフリーになったとかいうと、わたしにも火の粉が飛んでくるので、当面は超大企業サラリーマンということでお願いします(誰にお願いしてるんだ??)
先日、岩手日報に本の広告が載った時、1面をビリっと破り証拠隠滅しました。その日の新聞はなぜか、メインである1面がないという笑える状態でしたが、母に指摘されることなく1日がしれっと終わりました(笑)
今日もしれっと、しれっと。
【2024年講演会予定】
10/19(土)宮崎県えびの市 → 講演の詳細・お申込みはこちら
「遠くの親戚より、近くの他人」と言う諺があります。
「同じ釜の飯を、喰った仲」と言う表現もあります。
いつも、みじかにいる事の意味が大きいことが分かります。
訪問診療でも同じことを感じます。相手に受け入れてもらえるまで、ひたすら足を運ぶのです。受け入れてもらえるまで、手出しできませんから。この方法で、信頼関係を作るのです。信頼関係を作ることに全力を傾ける必要があるのです。
これを知らない人は、威圧で相手を屈服しようとします。認知症を知らない方は、そうしようとする方が多いですね。威圧を掛けた報いが、降りかかってくることを知らないのでしょう。
小関先生
いつもありがとうございます!おっしゃるとおりです。
訪問診療の場合、時間を積み重ねるのが大変なので回数をこなさないといけないですよね。介護家族以上に大変だと思います。
自分に降りかかってくることが分かれば、威圧なんてしないんですけど勉強不足の方はそうなってしまいますよね。