介護は誰のためにやるのかという問い

介護 誰のため

介護は誰のためにやるのか という問い。

家族のため、利用者さんのため、個人じゃない社会全体のためという人もいる。

わたしは「自分のため」と答える。

「認知症のおばあさんやお母さんのためでしょ」と言われるけど、そうではない。

子宮頸がんで余命半年と言われた当時89歳の認知症の祖母。

小5のわたしに、当時60歳の祖母は容赦なくケンカを吹っかけてきて、目に涙を浮かべた。

そんな人だとしても、気づけば会社を辞め、残り6か月という命と向き合う決心をした。

これも祖母ではなく、あくまで自分のため。

いろんな選択肢があったはずだ。

地元にいる妹に負荷をかけ、自分は東京で仕事を続けるという選択。

認知症の母を介護施設に預け、祖母を病院に預けて終わりという選択。

どちらもやらなかったのは、すべて自分の意志。

ここで見捨てたら、一生後悔すると思ったから。

父親が突然倒れたときもそうだ。

祖母の葬儀をめぐって大ゲンカし、親子の縁を切る勢いだった。

でも、病院のICUにいた。

自分の親だから、嫁だから、長男だから、長女だから・・・介護にはいろんな理由がつけられる。

自分自身で責任を課したり、周りが責任を課してくることもある。

そういった責任を置き去りにして、自分の生活を優先しても構わないと思う。

でも、一度も振り返ることなく、その後の人生を歩いていけるだろうか?

思い出を完全に封じ込めることができるだろうか?

わたしはそれができない、その勇気がない。

見えない体のどこからか、後悔が湧いてきて自分を覆い包むはず。

「もっと、家族と一緒の時間を過ごせばよかった」

「なんであんなに仕事ばかりしたんだろう」

スポーツにせよ、仕事にせよ、生きている限りやり直すチャンスはある。

そうすることで、ざわついた気持ちを押し殺すこともできる。

しかし、死んだ人への直接的なやり直しはできない。

やり直しができないから、その後悔は1年や2年では終わらない。

だから後悔しない選択を、自分自身でやる。

周りの声に影響され過ぎる人もいる。

「あの人がやれと言ったから」

「あなたしかいないでしょ」

自分の人生なのに、他人のせいにして後悔することもある。

最後は自分が選択したはずなのに、誰かのせいにしたい。

自分が後悔したくないから、自分を守りたいから、誰かのせいにする。

介護施設や病院の手続きだけして、お金を出しただけで満足する人もいる。

それを達成感と呼んでも構わない。

その人が後悔しないのなら、それでいい。

その仕事を選んだのも自分、会社を辞めると決めたのも自分、すべて自分が決めること。

人生、すべて自分が選択したもので成り立っている。

だから介護は自分のためにやっている。

決して母親のためにやっているわけではない。

小さな後悔はあるけれど、介護を引き受けたことに一切後悔はない。

今日もしれっと、しれっと。

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介護 誰のため

6 件のコメント

  • 同じ気持です。共感できて嬉しいです。20代後半で父を癌で一年半の看病の末に亡くし、ずっと後悔にさいなまれ続けたので、もう二度と後悔しないように、母の介護を在宅で十数年しています。周りからはいろいろと言われます。自己満足でしょとか…。それでも私は、この道を選びます。こういう人生もありです。いつも励ましてくださって、ありがとうございます❗

  • 群青ブルマさま

    コメントありがとうございます!

    若くしてお父様を亡くされたのですね。ご自身で納得されていることが一番で、それに叶うものはないと思っています。自分に納得できていない人は、介護の愚痴も止まりません。

  • 私が30代の頃、母が悪性リンパ腫になりすべてを捧げるような気持ちで闘病を支えました。ちょうどくどひろさんと同じ気持ちでした。母は奇跡的に日常生活が送れるように回復し、日頃から私のお陰だと親戚中に話していました。しかし、育つ段階で長期間受けた実兄からの虐待のフラッシュバックと精神症状が50代から突然現れてしまったのです。心配かけまいと母には言わなかったのですが、暫くしてから母の耳に入った時に「そんな昔のことを言うお前が悪い」と怒鳴りつけられました。 その時から必死で母を守ってきた意味が見つからなくなってしまいました。 母は加害者を守るために、被害者の私を見殺しにしたとしか思えなかったのです。母の言葉は絶望の淵に私を落とし、絶縁状態となりました。 その1年半後に母は原因不明の急死。母に対する憎しみ、怒り、悲しみで更に悪化。あれから4年近く経過し、治療のお陰でようやく現在は心の折り合いがついてきています。 怒りの下に隠れていた私の涙を自分で拭い、母への本当の愛情が見えてきています。 ただ最期まで娘として寄り添っていたかったという気持ちと、母の優しかった笑顔をまた思い描くことがことができた瞬間、本当の私の涙が出ました。したくないと思って頑張ったのに、せざるを得ない後悔もあります。 
    昨年私を大切にしてくれた義母が認知症になりました。実母にしてあげたかったことを義母に少しでもしてあげることができれば、自分を癒し納得させられるような気がしています。
    色々なことがありましたが、今はどんなことも無駄ではなかったと思います。悩んだ分気づいたものは多く、大切なものが見えてきたような気がします。嘘なく向き合っていきたいと思います。

  • ゆらりさま

    コメントありがとうございます!貴重な体験、しっかり読ませて頂きました。

    人生においてムダなことなど、何ひとつないというか、ムダであることもすべて必然なんじゃないかと思っています。わたしも祖母で出来なかったことを父に、父にできなかったことを母にという感じで介護しています。自分の人生のハンドルは自分自身が握っているので、わたしは常に自分のためと思って生きています。

  • 工藤広伸様
    返信ありがとうございました。
    ブログ・コメントを数度読み返しながら「覚悟」「然りと見る」という言葉が浮かびました。
    私の感じたことなので、反れていたりしたらお許しください。

    この出会いは気づきの場面でもあり、私にとっては紛れもなく必然だったと思います。
    ありがとうございます。

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    ABOUTこのブログを書いている人

    1972年岩手県盛岡市生まれ、東京都在住の介護作家・ブロガー。認知症ライフパートナー2級、認知症介助士。なないろのとびら診療所(岩手県盛岡市)地域医療推進室非常勤。祖母(認知症+子宮頸がん・要介護3)と母(認知症+CMT病・要介護2)のW遠距離介護。2013年3月、2回目の介護離職、同年11月祖母死去。2017年悪性リンパ腫の父(要介護5)も別拠点で在宅介護したが死去。現在も東京と岩手を年間約20往復、書くことを生業にしれっと介護を継続中!連載:介護ポストセブン(小学館)、著書:がんばりすぎずにしれっと認知症介護 (新日本出版社)医者には書けない! 認知症介護を後悔しないための54の心得 (廣済堂出版)ほか