札幌での講演会が終わり、新千歳空港からLCCで成田行きの最終便に乗ったときに見た、母娘のお話です。
新千歳空港の保安検査場は、最終便ということもあって、乗客の列はそれほど長くありませんでした。乗客はロープに沿って、1歩ずつ保安検査のゲートに近づきます。列が短いこともあって、ロープのすぐ横まで娘の母が見送りに来ました。
母と娘、2人の会話から想像するに、こんな親子だと思います。
娘は20歳。北海道出身で、東京の学校に通う専門学校生。正月から2週間近く長期で滞在し、久しぶりのふるさとを家族と満喫。
母も久しぶりに娘と一緒に過ごしたものだから、再び送り出すことが名残惜しく、いつまでも一緒にいたい様子でした。
保安検査場に入るまで、母は何度も娘に声をかけ、娘も母親に「分かってる」と繰り返す。わたしはその様子を、娘の真後ろで黙って聞いていました。
荷物検査用のカゴに、娘はリュックを置き、コートを脱ぎました。検査場の外を見ると、母が娘をジッと見ています。娘と目が合えば、母は手を振る・・・そんなことを繰り返しながら、娘は金属探知機のゲートをくぐり、成田へと旅立ちました。
わたしはこの母娘の姿を見て、重ね合わせる気もなかった自分の遠距離介護のことを考えてしまったのです。
認知症になる前の母の見送り
わたしはこれまで、東京と盛岡を130回近く往復し、そのたびに認知症の母親とお別れを繰り返してきました。
しかし、他の人のお別れを間近で見ることがしばらくなかったので、初めて違和感を感じました。
わたしも10代、20代の頃は、大学の夏休みや冬休みを利用して盛岡に帰り、母の手料理を食べ、盛岡の空気に癒されていた時期もありました。
あのときの母、認知症になる前の母を思い出すと、新千歳に居た母と同じくらい、いろんな声かけをしてくれてたな・・・急にそんなことを思い出しました。
ちゃんとご飯食べるんだよ、何かあったら帰ってきなさいよ、風邪ひくんじゃないよ、お金あるの?・・・時には余計なお世話、もう子供じゃない!って思うくらい、心配する母をうざいと思ったこともあります。
子を思う親の気持ちって、こんなだったかな・・・新千歳の母娘を見て、認知症になる前の母を思い出しました。認知症になった母は、ずいぶんと見送りが淡泊になったかも・・・そう思います。
相変わらず、わたしが見えなくなるまで手は振ってくれるし、そういう意味ではしっかりとした見送りですが、うざいくらいの心配はしなくなったなと思いました。
もし今、母がしつこいくらいに心配してくれても、わたしはもう母の愛情と思わないかもしれません。何度も心配されると、それも認知症の症状だと思い、せっかくの愛情をスルーしてしまうかも・・・そんなことを思いました。
思わぬカタチで昔の母のことを思い出してしまったのですが、わたしとしては淡泊なほうがありがたいかもしれません。
ちなみに講演の講師をする方々は、LCCをあまり利用しないようです。成田の第3ターミナル、遠いですよ~
今日もしれっと、しれっと。