2013年4月からスタートした認知症治療も、これで14回目になりました。今までの流れを簡単におさらいします。
今までのコウノメソッド実践医の受診と内容
第1回目(2013年4月)→ アルツハイマー型認知症と診断。フェルガード100M開始。訪問看護スタート
第2回目(2013年8月)→ レミニール4㎎×1錠を朝服用 看護師・薬剤師による服薬管理をスタート
第3回目(2013年9月)→ レミニール 4mg→8mg に増量
第4回目(2013年11月)→ レミニール 8mg → 4mgに変更 祖母が死去
第5回目(2013年12月)→ 4回目を維持
第6回目(2014年1月) ?→ ?長谷川式テストで30点満点で28点(過去最高点)ピック病の疑いあり
第7回目(2014年2月) ?→ ピック病と診断
第8回目(2014年3月) → フェルガード100MからフェルガードBに変更
第9回目(2014年4月) → 8回目を維持
第10回目(2014年5月) → 8回目を維持
第11回目(2014年6月) → ウィンタミンをテストする
第12回目(2014年7月) → 11回目を維持
第13回目(2014年9月) → 11回目を維持
第14回目(2014年10月) → 今回の記事
わたしの診察スタンスが変わる
この日は台風。雨の中レンタカー屋までバスで行って、車で家に戻って母を病院へ連れて行きました。NHK番組?「私たちのことを私たち抜きで決めないで」の影響(下記記事です)が大きくて、自省しながらの診断でした。
2014年の診察を振り返ると、母よりも自分の方が話している時間が長かった気がします。毎日起こる出来事を事細かにメモして、それを先生に伝えるということをしてましたが、今となっては意味あったのかな~と。
自己分析するに、介護者の4つの心理的ステップ、第3ステップ 「割りきり」 に本当に入ってきたんだなと。 第2ステップである?「混乱・怒り・拒絶」?と行ったり来たりしていたのが、第3ステップにいる割合が大きくなってます。
亡くなったやや高度の認知症の祖母の介護の中で、第4ステップの 「受容」 まで経験しました。自分では先のステップに居るかのように意識させていたんですが、意識させているだけで 「割り切り」 が足りなかったんだと分かりました。
先生:「どうですか?最近、何か変わりありますか?」
母:「特に変わりないです」
今回は看護学校の学生さん2名が診察室にいらして、先生と看護師さん、わたしたちの計6名というにぎやかな診察でした。診察の始めは、だいたいこんな感じです。この後わたしがしゃべりだす事も多かった2014年ですが、今回は我慢。
先生:「冬になると、忙しくなるんじゃないですか?」
母:「えぇ、そうなんです。この手足が硬直して・・・・」
もの忘れ外来に来ているつもりが、母はいつもシャルコー・マリー・トゥース病の診察とMIXしがちです。寒くなると、靴下5枚重ねとかホッカイロ貼りまくりなどで対処してきたのですが、先生から冷え性の漢方の処方についての提案がありました。
わたし:「服薬管理が難しいので、看護師さんや薬剤師さんと連携できますか?」
先生:「12月になったら、その時考えましょう」
冷え性の漢方も、一度に渡されると管理できません。薬を失くしたり、一気に飲んだりします。
コウノメソッドにあるレビー小体型認知症のチェック、歯車現象(力を抜いた患者の腕を取って動かすとガクガクする)がない事を確認しました。これいつもやるんですけど、ピック病やアルツハイマーでも念のためやるのかな?今度聞いてみます。
フェルガードの値下げ
お世話になった薬剤師さんが今月末で引越しされるということで、最後のご挨拶に薬局に行きました。
先月もフェルガードBを2か月分購入したのですが、最後ということでまた購入すると値段下がってました。2014年10月から500円安くなってて、この前の値上げは何だったんだ?
今はウインタミンはわたしの机の中にあって、服用させていません。フェルガードBのみを毎日朝夜1本ずつ服用してもらっています。年初はお薬や症状の話ばかりをしてましたが、最近はデイサービスの話を先生とする時間が増えてますね。
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