東京から岩手への1.5か月の介護帰省を無事終えたわたしが感じた3つの誤算

東北新幹線

8月15日(土)17時51分盛岡発東京行き 東北新幹線はやぶさ38号の車内でこの記事を書いています。

お盆期間の土曜日、帰省ラッシュのピークのはずなのに、記事タイトル下の写真のとおり、盛岡駅新幹線ホームには人がいません。車内もガラガラで、密の心配は全くありません。

いつもなら認知症の母に「2週間後にまた帰ってくるから」と言って家を出ますが、コロナ禍の今、次はいつ帰省できるか正直分かりません。

認知症の母の症状の悪化への不安、「東京の人」プレッシャーから解放された安堵感、1か月半も長期滞在したことからくる寂しさが、かわるがわる襲ってくる不思議な感覚です。

次回の帰省が正月になることも想定して、東京から尿パッドを送ってもらい(なぜか盛岡で売ってない)、Amazonで母の口紅やローション、尿のニオイ対策の洗剤などを確保しておきました。

自分の荷物が多かったので、盛岡の郵便局から東京の自宅へ送ったのですが、東京の住所を送り状に書きづらく、送り先の名前を妻にして、わたしの住所は岩手の実家にしました。そう簡単には消えない「東京の人」プレッシャー。

一方で、風邪をひいたり、ケガをしたりしても、東京の病院に行ける安堵感は想像以上かもしれません。日本一感染者の多い東京へ帰るのに、なぜかホッとしているこの感覚を味わっている人は、日本にどれだけいるでしょう? 本題に戻りまして、わたしの介護帰省の3つの誤算のお話です。

悲しい誤算

盛岡への介護帰省を決めた1番の目的はやはり、介護保険サービスだけではカバーできない、母の認知症の進行がどれくらいかを、自分の目で確かめるためでした。

同じくらい大きな目的は、お盆の和尚さん対応です。母は和尚さんが来る日時が分からないし、お布施の準備もできないし、年1回だけくる親族にお茶も出せません。

当初盛岡に到着した6月末の時点では、和尚さんが自宅に来るというお手紙が来ていたので、そのつもりで準備をしていました。

しかし岩手でもコロナ感染者が出たのできっと、中止になったのだと思います。やむを得ないことですが、和尚さんが自宅に来るから、7月20日の帰京を1か月延期したところもあったので、肩透かしをくらってしまいました。そして8月8日のツイッター。岩手のお墓の様子、コロナの影響が思いっきり出ていました。

勇気と覚悟がなければ、墓前に立つことはできません。震える母を支えながら、お墓の前で無事手を合わせられて、本当に良かったと思いました。

うれしい誤算①

うれしい誤算は、岩手メディアを中心に、全国から取材や出演がたくさん来たことです。

運と縁が重なって、岩手のテレビ2局、ラジオ2局、新聞1社、全国もテレビ1局(断った)、新聞1社、Youtube2つと、8月上旬はほぼ毎日取材対応に追われました。新刊『親が認知症!?離れて暮らす親の介護・見守り・お金のこと』(翔泳社)のことに加え、コロナ禍の遠距離介護のリアルについての取材でした。

緊急事態宣言中の東京では、ほとんど人に会わずに生活してきたのですが、今回の取材を通して急にたくさんの方と話す機会があり、自分の「のど」がついていけませんでした。

これだけの取材対応をもし、都内でやっていたらコロナリスクが高かったかもしれません。感染者が日本一少ない岩手県だったからこそ、成立したと思っています。

もちろん「のど」のケアもしっかりやったので、ガラガラ声にはなっていません。ただでさえ「東京の人」と警戒されているのに、ガラガラ声で話した時点で、取材&出演中止になってしまいます。

ちなみに新幹線に乗る直前まで、テレビ局のクルーの皆さんが盛岡駅でわたしを追ってました。でも、自分の映像を岩手で見ることができません、いつ放送になるのかな?

放送前なので撮影クルーの皆さんの足元を撮影

うれしい誤算②

「東京の人」プレッシャーと戦いながら、1か月半岩手で生活して、現地の空気感が分かりました。

介護もそうですが、何事も未経験、知らない不安は相当なものです。しかし1回経験できたので、岩手に帰るプレッシャー、周囲の反応がどういうものかを理解できました。

今回帰省を見送った多くの方は、これからも帰れない不安が日に日に増していくでしょうし、首都圏からの移動に対する誹謗中傷のニュースばかりが報じられるので、どんどん帰りづらくなると思います。

ブログでもご紹介した、Kログを使って毎日検温する習慣が身に付きましたし、岩手にいたおかげで抗体検査キットの存在を知り、2セット購入しました。

実際に帰省できた経験、抗体検査キットの入手など、想像以上のメリットが得られ、うれしい誤算となりました。

とはいえ、都内で感染者数が爆発的に増加すれば、不要不急の外出には当たらない介護であっても、移動はしづらく、最後は社会の空気で判断せざるを得ないです。

次回の帰省は10月中旬(予定)で、ビジネスホテルでの健康観察期間を長めに考えています。もちろん介護事業所、すべての了承を得ての帰省です。ホテル生活もそこそこ大変で、隔離されたホテルを脱走する陽性者の気持ちが、少しだけ分かります。

今までは東京2週間、盛岡1週間のペースで遠距離介護を続けてきましたが、コロナ禍では1か月単位で行き来できればと思っています。

この1か月半、母がブログネタをたくさん提供してくれたので、ブログネタに困ることはありませんでした。帰京後に1番大変なのは、ブログネタ探しかもしれません。

誰にも迷惑をかけることなく、無事1.5か月岩手で生活できてホッとしていますし、母の様子をこの目で確認できたことにもホッとしています。東京の人プレッシャーがなくなり、ホッとしています。

今日もしれっと、しれっと。


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【わたしの書いた最新刊】
東京と岩手の遠距離介護を、在宅で11年以上続けられている理由のひとつが道具です。介護者の皆さんがもっとラクできる環境を整え、同時に親の自立を実現するために何ができるかを実践するための本を書きました。図表とカラーで分かりやすく仕上げました。

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ABOUT US
工藤広伸(くどひろ)介護作家・ブロガー
1972年岩手県盛岡市生まれ、東京都在住。
2012年から岩手でひとり暮らしをするアルツハイマー型認知症で難病(CMT病)の母(81歳・要介護4)を、東京からしれっと遠距離在宅介護を続けて13年目。途中、認知症の祖母(要介護3)や悪性リンパ腫の父(要介護5)も介護し看取る。認知症介護の模様や工夫が、NHK「ニュース7」「おはよう日本」「あさイチ」などで取り上げられる。

【音声配信Voicyパーソナリティ】『ちょっと気になる?介護のラジオ
【著書】親の見守り・介護をラクにする道具・アイデア・考えること(翔泳社)、親が認知症!?離れて暮らす親の介護・見守り・お金のこと(翔泳社)、医者には書けない! 認知症介護を後悔しないための54の心得 (廣済堂出版)ほか