ホッとできる故郷はもうないのかもしれない

ふるさと ない

18で上京したとき、友だちやバイト先の社員に「ふるさとがあるっていいよね~」「東京出身だと、帰るふるさともないから」と何度も言われた。

東京生まれであることがうらやましいと思っていたわたしには、ふるさとのありがたみが分からなかったし、ふるさとがあることに少し負い目すら感じていた。

好奇心の塊だった自分には、東京は天国だった。

都会の空気や人ごみ、スピード感が苦痛で、田舎に帰る人もいるというのに。

インターネットのない時代、地方と都会の差は歴然で、都会に居るだけで圧倒的な情報シャワーを浴びることができた。

22で卒業、そのまま東京の会社に就職し、会社員生活を18年続けることになる。

その頃には、どこ出身とかいう負い目もなく、ただひたすら仕事に追われるようになっていた。

もはや満員電車は苦痛ではなく、惰性で乗り続ける日々。

つり革につかまりながら、こうつぶやく。

くどひろ
仕事のプレッシャーが・・・

お盆や正月の帰省ラッシュが過ぎたころ、わたしは毎年ふるさとへ帰る。

実家に帰ると、母と祖母がいつも待っていた。

あら、お帰りなさい。疲れたでしょ~、何か飲む?

久しぶりの息子の帰省を待ってましたとばかりに、テーブルが見えなくなるほどの料理が並ぶ。

お腹いっぱいになったあとも、リンゴ食べる?ピザ取る?と母は言い、祖母は近くでニコニコしている。

今度は「お風呂沸いたから入りなさい」と言われる。

お風呂にはバスタオルがセットされている・・・上げ膳据え膳。

高校時代から変わらない部屋の畳は茶色く、遠くに山がうっすら見える。

物音ひとつしない静かな部屋、ぐっすり眠る。

仕事のストレスが、盛岡の空気に溶け込むように消えていく。

朝起きると、焼き鮭、みそ汁、海苔、玉子焼き・・・旅館並みの朝食が食卓に並ぶ。

安比にスノボへ行こうとすると、母は福田パンとみそおにぎりを持たせてくれる。

東京から遊びに来た友人にも、同じようにもてなすものだから、

友だち
工藤の家に行ったら、これでもかってくらい料理が出てくるから、お腹空かせていかないとやべぇな

とか言われることも、よくあった。

今、一番ホッとできる場所は、東北新幹線で盛岡から東京に戻ってきて、自宅の最寄駅に着いた時だ。

「あぁ~、着いた~」

まるで故郷に帰ってきたかのような言葉が、なぜか口から出る。

自宅に帰り、いつもの日常に戻るまでにいろいろとステップを踏んでいく。

くどひろ
あ、食事の都度、箸やお皿の汚れを気にしなくていいんだ
くどひろ
あ、みそ汁を少し口に含んで、味のチェックしなくていいんだ
くどひろ
あ、会話ってこんなにバリエーションあるんだ

当たり前のことに、イチイチ感動する自分がいる。

30歳を過ぎてやっと、故郷があって本当によかったと思うようになった。

でも、あのホッとできる故郷はもうないのかもしれない。

今日もしれっと、しれっと。

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ふるさと ない

8 件のコメント

  • おひさしぶりです。私の場合は母の葬儀がおわり、新盆もすぎたというのに未だにスーパーなどの紙おむつコーナーをみて「買わなくていいんだよな」ってのをよくやります。 
    目下の私の課題は遺産分割です。介護した寄与分というのが介護サービスの料金で計算される例をみたので弁護士に依頼する気にもなれず、ほとんど法定どおりになりそうです。
    くどひろさんも妹さんがいらっしゃるとのこと。 お母様がご存命のうちは考えられないかもしれませんが自筆の遺言だけでもあるとだいぶ変わると思います。
    エンディングノート?だと法的根拠が薄いとかいろいろありますね。

    長文失礼しました。介護についてはくどひろさんがずっと先輩なのに私のほうが先に終わってしまったのでいろいろと言いたくなってしまいました。 ご参考までに。

  • くどひろ 様

    ご無沙汰してました。

    今回のブログを読んで『どうしたの〰️くどひろさん(>_<)おセンチになってるよ(泣)』と思いました。

    けれど、私も同じように車で一時間の母の所へ週三回通い、身の回りの世話と2日分の食事を用意して、自宅へ帰ってくると、今日も終わったとホッとする反面、長時間母と一緒に居られなくなった自分を情けなく思ったり、複雑です。

    先日息子が、『おはあちゃん(亡くなった旦那さんのお母さん)料理が上手かったんだってね(^^)食べたかったなぁー』と、急に話始めた時、旦那さんがすごく切なそうな表情をしました。
    母の料理を、亡くしてしまって食べられなくなった旦那さんと認知症になって食べられなくなった私。どちらもやっぱり切ないですね。
    私はいつまで子供達に美味しいご飯をたべさせてあげられるかなぁ~σ(^_^;)?

  • syumitektさま

    確かにおむつ・・・分かります。うちの場合は、父と祖母は必要でしたが亡くなってしまったので、「いずれ母が必要になるな」と思い直しています。

    遺産分割は祖母、父と経験しまして、母に関してもすでに妹と話し合っていて決まってます。争う要素はゼロなのですが、家と土地は価値がほとんどないので、これがやっかいだなと思ってます。その件についても不動産業者も決めていますし、割と準備万端です(笑)

    アドバイス、ありがとうございます!

  • 奈都さま

    ご心配おかけするような内容でした・・・失礼しました!
    文章として自分の内面と向き合っているだけなので、相変わらずしれっと過ごしております。心の奥底にはこんな思いもあるなぁ~、滅多なことでは浮上してこないけど、という感じです。

    通いの介護の複雑な思い、本当によく分かります。

    認知症でいろいろできなくなっても食欲は旺盛なので、外食でも割と楽しんでいます。盛岡の新しいお店を何年にもわたって開拓し、母を連れて行ってます。「あれ、ここ来たことある」と毎回母は言うのですが、新規のお店なので当然来たこともなく・・・そんな毎日です!

  • 私のことかと思うくらい、全く同感です。

  • おはようございます☀️
    皆さん似たような心もようで…。実家を処分でき安心した気持ちはありますが寂しい…意味なく「もう帰る所ないんだ」と喪失感いっぱいになったりします。

  • 函館の女さま

    そうですね、皆さん同じ思いをお持ちなようで・・・。うちも実家処分する時期がいずれ来るので、きっとそうなるだろうと思います。父のマンション売ったときは、喪失感ゼロでした。

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    ABOUTこのブログを書いている人

    1972年岩手県盛岡市生まれ、東京都在住の介護作家・ブロガー。認知症ライフパートナー2級、認知症介助士。なないろのとびら診療所(岩手県盛岡市)地域医療推進室非常勤。祖母(認知症+子宮頸がん・要介護3)と母(認知症+CMT病・要介護2)のW遠距離介護。2013年3月、2回目の介護離職、同年11月祖母死去。2017年悪性リンパ腫の父(要介護5)も別拠点で在宅介護したが死去。現在も東京と岩手を年間約20往復、書くことを生業にしれっと介護を継続中!連載:介護ポストセブン(小学館)、著書:がんばりすぎずにしれっと認知症介護 (新日本出版社)医者には書けない! 認知症介護を後悔しないための54の心得 (廣済堂出版)ほか