2012年11月15日。
東京の会社で働いていたわたしのところに、岩手で暮らす認知症の祖母の子宮頸がんの知らせが入りました。会社員人生はそこから大きく転換し、40代はほぼほぼ介護の9年間でした。
遠距離介護を続けているというと、家族を介護施設に預けている、岩手に居る妹がメインで介護している、母の認知症はそれほど重くないと言われるのですが、いずれも違います。
ずっと遠距離の在宅介護をやってますし、介護のメインは東京に居てもわたしが通いでやってきました。母の認知症は最初は軽度でしたが、今は重度です。
母の介護を軸にしながら、途中で祖母と父の介護が同時にやってくるダブル遠距離介護や看取りも経験し、書き手の立場で考えれば、ありがたいネタに恵まれました。
ただこの書き手というのも、会社を辞めて介護が始まった当初は仕事になると思っておらず、この介護ブログをなんとなく始めたことがきっかけで、仕事の幅が一気に広がり、コロナの影響で一気に縮小しました。これはもう笑うしかないです、ハイ。
今日から節目の10年目に突入します。自分の力だけでは、9年間も遠距離介護はできなかったと思います。介護虐待のニュースで世間を騒がせることなく、ここまで無事やってこれました!
たくさんの人の力を借りた、そして……
遠距離在宅介護を実現できたのは、たくさんの介護保険サービスの支えがあったからです。
3人のケアマネさん、30人以上はお世話になっているヘルパーさん、20人以上の訪問看護師さん、4人の作業・理学療法士さん、かかりつけ医などなど、たくさんの人の力を借りたおかげで遠距離介護がうまくいきました。
しかし介護保険サービスだけでは、遠距離の不安は解消されません。ヘルパーさんは1日30分ですし、最も長い訪問リハビリですら60分です。それ以外の23時間の見守りは、母の行動次第、運次第の部分も相当ありました。
この9年間で最も変化したのは、やはりテクノロジーです。本当に驚くべき進化で、工夫すればいろんなことが遠隔でできる時代になりました。
2014年当時はTely HDという3万近いカメラをテレビの上につけ、それをSkypeでつなぎ、ネットはwimaxでした。盛岡市は県庁所在地ですが、ネット回線は不安定で画像は粗く、母の様子を確認するのにものすごく苦労しました。
それが今では、スマホで簡単に鮮明な映像が見られ、しかも低価格でカメラが購入できます。スマートリモコンがあれば、認知症でエアコンやテレビを操作できない母の代わりに、東京から遠隔で操作できる時代です。ネット回線を光回線にしたことで、回線切れの心配もなくなりました。
こちらの動画は総務省のyoutubeチャンネル、1分強あります。2018年当時作られた5Gの未来の話ですが、すでに実現されているものもあります。遠距離介護でこれらテクノロジーは応用できると思ってますし、テクノロジーの進化でもっともっと遠距離介護がラクになるはず。
一方の介護保険制度は、ゆっくりゆっくり変化しています。介護のプロからはテクノロジー系の情報は提供されないので、いかに介護家族自身がテクノロジーと介護保険サービスをうまく融合させるかが、これからの介護では大切になっていくと思います。
母の介護のなんとなくの目標は、女性の平均寿命である90歳。あと12年の介護が必要で、わたしも12年後は61歳。そこまでこの介護ブログが続いてたら、ちょっと怖いかも? いや、それもいいかもしれません。
ブログも読んでくださる方がいるから、ここまで続けることができました。本当にありがとうございます。ということで、10年目もしれっと、しれっとやっていきます!
音声配信voicyの最新回は、認知症の人の薄着対策のお話です↓
今日もしれっと、しれっと。
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