認知症介護って、今さらながらつくづく難しいなぁって思います。
例えば亡くなった祖母や父のように、がんで見た目にも気力的にも弱っていると介護してても、「かわいそう」と感情移入しやすいです。
でも認知症の母に同じような感情移入ができないのは、見た目には元気だからなのかもしれません。骨が折れている、食欲がなくなっている、やせ細っているといった要素がないので、つい普通に接してしまいます。
もちろん母もあれだけ得意だった料理ができなくなっていますし、さっき行ってきた病院のこともすっかり忘れるので、かわいそうだなと思う日もあります。それでも祖母や父ほどの感じでは接していないように思うのです、手足の不自由さもあるのに。
本気で「かわいそう」とは思っていない
認知症の母を「かわいそう」という目で見ること自体を、どうなんだろう? と思います。
ただ「かわいそう」という気持ちを少しでも持って認知症介護をすれば、もっと優しくできるのでは? と考える日もあります。
本気で母をかわいそうと思っているのではなく、介護者として優しく接するための「ツール」として活用すれば、余計な争いをしなくて済むのでは? という意味です。
見た目には元気な母に、自分の中の「かわいそう」というツールをどうやって発動させたらいいのか? 最近は、MRIで撮影した母の脳の画像を思い浮かべるようにしています。
認知症である母を見た目で理解するには、あの画像を思い出すと脳がしっかり萎縮している中、不安の中で頑張って生きているんだなぁって思えます。
いっそのことスマホの待ち受け画面を母のMRI画像にしたほうがいいんじゃないかって思うくらいです。それくらい忘れてしまうので、かわいそうとは思っていない証拠なんですけど、程よい「かわいそう」を自分の中で出し入れしながら、納得のいく認知症介護にしたいとは思います。
音声配信voicyの最新回は、最近感じている年齢感覚のズレについて語ってます↓
今日もしれっと、しれっと。
前頭葉も側頭葉もしっかり萎縮してたよなぁ~