「ひとりで自由気ままに暮らすのも、悪くないかもしれませんね」
と言ったのは、お世話になっている認知症の先生のコトバ。
「確かにそうかもなぁ~」
おそらく9割の方は同意しないと思うんですが、わたしはそう思う節があります。常識的にはありえない、認知症の独居のメリットとは?
話し相手がいない
他人を ”異様に気にする” うちの母。誰かと会って刺激が加わると、”被害妄想” に変換されます。会ったはいいけど、全部ネガティブ。しかもそれが本当なのかどうか、介護している側は全く分かりません。(基本は妄想と思ってます)
誰にも会いたくない
と常に思っているので、会う事がストレスなんです。独居だとそのストレスがないというメリットです。これは正直微妙なメリットで、やはり誰かと会って”程よく” 刺激を与えないといけないとわたしは考えています。
それをカバーしてくれているのが、ヘルパーさんや看護師さん、作業療法士さんです。週4日間は誰かが家を訪れるので、一応保たれてはいますが、正直もっと人と会って欲しいです。一方で 本人のストレス = 認知症の進行 という考え方もあります。
”自由気ままに”
という環境は認知症にとってはいい環境でもあり、ストレスフリーというメリットがあります。
マイペースを維持できる
母はわたしが帰ってくると、慌てます。なぜ慌てるかというと、
「食事を2人分、作らないといけないから」
です。本人に言わせると、慣れないので緊張してしまうと。さらにわたしが、いろいろと刺激を加えます。
・わたしが子どもの頃食べたメニュー(いなり寿司とか)を、敢えて挑戦させる
・味や料理方法について、いろいろと評価する
母はいつもこういいます。
「やっぱりひとり自由気ままに料理してると、だめだ!」
確かにその通りなんですが、わたしがいない時はストレスなく料理ができているのも事実。以前のように創作料理をいろいろと作れなくなっているので、残り物で料理をします。取り繕い方としては、
「わたしは残り物を有効活用して、経済的に料理ができる」
と自慢します。
「それはいいことですね」
ヘルパーさんも褒めてくれるのですが、要は献立が決められず、残り物でしか料理ができない状態になっています。それでも料理が生命線とわたしは考えているので、ここは”程よい”ストレスをかけ続けるつもりです。
わたしがいないことは、”自由気まま” であり、これもストレスフリーが得られます。
ミスを指摘されない
物を失くしてしまったり、洗濯の仕方がおかしかったり・・・・
同居していると、ついついミスを指摘してしまいます。これを指摘されないということは、本人にとっては自由気まま。間違いに気づかないのでデメリットですが、本人の気持ち的にはネガティブ要素がないので、ストレスフリーです。
上記が成り立つのは、
・徘徊がない
・サポート体制が充実している
・軽度の認知症である
など、条件が揃わないとだめです。と考えると、あてはまる人はものすごく限定されるかと。でも自由気ままな姿を見ると、
「もうちょっと実家に帰る頻度を減らすべきなのか・・・でも、刺激がなさすぎるのもだめだし」
という葛藤に襲われます。ストレスがない環境と程よいストレスのバランスが、とても難しいです。気ままな独居でストレスフリーという考え方もあるのかな?そう思う事が多々あるので、記事にしてみました。
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