当時の皇太子殿下が、記者会見で愛子さまの養育方針についてお話された中で、ドロシー・ロー・ノルトの詩「子は親の鏡」を朗読され、話題になりました。
会社員時代のわたしは子育てもしてないのに、この詩を読んでえらく共感。自分のチームメンバーが産休に入るときに、本やこの詩を贈るようにしていました。
会社を辞めて10年近く経った今、改めてこの詩を読む機会がありました。詩をそのままご紹介しようと思ったのですが、著作権上、引用部分が多くなるとダメなので、一部だけご紹介します。
けなされて育つと、子どもは人をけなすようになる
引用元:子どもが育つ魔法の言葉(ドロシー・ロー・ノルト:PHP文庫)
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安げな気持ちでいると、子どもも不安になる
(略)
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
(略)
和気あいあいとした家庭で育てば
子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる
認知症の人は介護者の鏡
この詩を読み直したとき、自分の頭の中で「認知症の人は介護者の鏡」というオリジナル作品が完成し、個人的に書いてみたのです。書き終えたあと、一旦はブログに下書きしたのですが、著作権的にどうなんだろう?となりまして……。
若干でも怪しい場合は公表しないほうがいいので、ボツにしました。記事自体もボツにするつもりでしたが、詩自体はとてもいいものですし、介護している人の気づきになるかもと思い、残しました。
どんなふうに変えたかというと、親のところを介護者、子のところを認知症の人と置き換えて読んでみると、全部ではありませんが、なんとなく認知症介護にも当てはまるところがあります。タイトルはそのまま置き換えてみました。
わたしがどんな置き換えをしたか、ほんの一部だけご紹介します。
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる → とげとげした態度で接すると、認知症の人は、乱暴になる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる → 同じ高さの目線で見つめてあげれば、認知症の人は安心する
たった2つだけですが、最後の1つはユマニチュード的な発想です。出来た作品は単純な置き換えではなく、上記のようなアレンジも加えました。
いい詩ができたと思ったのですが、結局こんな形の中途半端な掲載しかできませんでした。ブログ読者の皆さんの想像を駆使しないと、このブログ記事は完成しません。
まずは「子は親の鏡」を読んでみて、その後、上記のような置き換えをすると、ステキな認知症介護の詩ができあがる気がします。
子育ての詩ですが、認知症介護にもうまく当てはまるということは、共通する部分はたくさんあるということですね。まさかの読者任せの記事、失礼しました!
音声配信voicyの最新回は、在宅介護の限界点はどこにあるのか?のお話です↓
今日もしれっと、しれっと。
私はユマニチュードの研修を何度か受けましたが、認知症の母とのコミュニケーションに大変役立っていると感じています。受ける前と受けた後では考え方というか捉え方が変わりました。
くどひろさんの置き換え文は、その通りだと思います。
私も遠距離で、実家へ行く道中はそのことを思い返して心を整えるのですが、しかしそうしなきゃとわかっていても、いざ介護となると忘れて感情的になってしまうこともあります。
まだまだです。
ふくいさま
おぉー、研修を何度か受けたのですね。
はい、わたしも心を整えていくのですが、失敗に終わることあります。よく分かります。