遠距離介護生活を始めて、3度目のオリンピックが終わりました。
ソチオリンピック、リオデジャネイロオリンピックの時の記事は、こちらです。
認知症の母と見た、ある方の平昌オリンピックの表彰式は、こんな感じでした。
ここまで3分かからず話してますから、恐ろしいペースで母は同じ質問をしてきます。ソチオリンピックから4年経ちましたが、オリンピックの会話の中身は変わってない、そのかわり同じ質問してくる間隔がかなり短くなっています。
1時間オリンピック中継を見れば、上のやりとり×20回ということになります。さすがにわたしが疲弊するので、近くにあったチラシの裏に殴り書きしたのがこちら。
質問されるたびに、この紙を見せることで返事の回数は減りました。この紙はパシュートの先頭の選手みたいなもので、わたしのストレスの風除けとして大活躍してくれました、お疲れ様!
オリンピックと紐づけてみる認知症の母の症状
認知症の症状の変化は、急激に悪化するケースもありますが、母のようにゆっくり進行しているケースもあります。
ゆっくり進行すると、認知症の症状がどこで悪化したかよく分かりません。でも、4年に1回しかないオリンピックはすごく印象に残るので、この時の会話の内容や同じことを何度も言う回数、競技の理解度で、過去の母と現在の母を比較できるなと今回思いました。
ソチオリンピックと平昌オリンピックを見ながら話す内容は、4年経っても変わってません。でも、同じ質問をするまでの時間の間隔が短くなっています。
当たり前だけど、4年経てばそりゃ認知症も進むよなぁという思い、このレベルで留まっているのなら、ラッキー♪という両方の思いが交錯したまま、オリンピックは終わりました。何よりソチの時より、自分の認知症介護の技術がレベルアップしています。成長しました!
もうひとつ感じたのは、母の多幸感です。「同じことを何度も言われた時、5回超えたら介護者もストレスを感じるから指摘してもいい」という現実的な対応法の話は、本やコラムでも何度もご紹介しておりますが、こんな感じなので数分で5回に到達してしまうのです。
だから、「それ、さっきと同じ質問」と指摘するのですが、その指摘の回数も当然増えます。それで怒り出す認知症の方もいると思うんですが、うちの母の場合は割とケロッとしています。「歳を取れば、誰でもそうなる」くらいの強い気持ちを持っているようで、認知症になる前の母よりもたくましくなってます。
本人が苦にしていないし、わたしもうまく順応できているので問題視していませんが、お薬以外で認知症関連のいろんなものを購入し始めたので、近く記事にしたいと思います。パラリンピックは3月9日からです!
今日もしれっと、しれっと。