7月19日。認知症の母が忘れてしまった息子の誕生日は、母がチラシを見て興味を示した「うなぎ」を食べる会にカタチを変え、なんとなくお祝いしました。
あれから2週間経って、8月1日。この日は母の誕生日で、77歳(喜寿)になりました。
なぜ毎年、母の誕生日会をやるのか?
母がもし認知症でなければ、わたしは照れくさいので誕生日会はやらないと思います。もしやったとしても、外食しに行くぐらいでしょうか?
ではなぜ、毎年誕生日会をやるのかというと、「母の薄れゆく記憶に、誕生日会を利用してくさびを打ち込むため」と、このブログに何度も書いてきました。
こういう珍しいイベントは記憶の奥底に残るんじゃないかな、年齢がたまに分かるようになるかな、今は夏という理解が進むかな、そんな期待から最初の頃は誕生日会をやっていました。
しかし今は、いい意味で「諦め」の境地。誕生日を思い出さなくてもいい、その瞬間を喜んでもらうだけでいい、そんな気持ちで誕生日会をしてます。諦めてからのほうが、気持ちはずっとラクです。
このブログを長年読んでくださっている方なら分かると思いますが、母の誕生日は「寿司&ケーキ」と決まっております。次の写真は、直近5年分のバースデーケーキです。
この写真の1番のポイントは、母が72歳のとき。親子の歳を考えずに『ホールケーキ』でお祝いしてしまったため、わたしが胸やけしまして。翌年から反省し、ショートケーキになりました。
あとは、ナンバーキャンドル。『がんばりすぎずにしれっと認知症介護』というわたしの本に、ナンバーキャンドル使う理由が書いてあります。(母の誕生日を利用して、自分の本を宣伝)
とか言ってたら、まさかの妹&中3の甥っ子が登場。
誕生日プレゼントと花を置いて、用があるため1時間も滞在せず帰ってしまいました。なぜスイカが誕生日プレゼントなのかというと、母がスイカが好きだから、そしてわたしが毎年寿司&ケーキでお祝いすると分かってて、ケーキだと被るからスイカにしたそうです。
花に添えられた手書きメッセージ、いかにも娘!って感じがします。昭和生まれの息子たちはきっと、こういうの苦手だと思います。さて、2020年。喜寿のお祝いは?
ホテルの味をご自宅で
母がチラシで「うなぎ」を見つけたように、わたしも「ホテルの味をご自宅で」という初めて見るチラシを発見しました。
この言葉は、だいたいレトルトと相場が決まっております。しかしそうではなく、「ガチで」ホテルの味を自宅で食べられるようです。これを母の誕生日に、利用してみよう!
コロナ禍の今、いつもなら絶対にやらないお店がテイクアウトをやっていたり、何ならレアなテイクアウト狙いで店を探したりする人もいます。
チラシに書いてあったホテルとは、「盛岡グランドホテル」。ウソでしょ、あのグランドホテルさまが!盛岡の街を一望できるほどの高台にある、天皇陛下も泊まる、あのグランドホテルさまが!盛岡の老舗高級ホテルで、東京で例えるならホテルニューオータニでテイクアウトするようなもんです……、たぶん。
「黒毛和牛&フィレステーキ&ワインセット」、「二の丑の日(8/2)国産うなぎ」、「総料理長監修ビーフカレー(レトルト)」。祭りや!これ、お祭りや!
若干、自分のテンションの高さに恥ずかしくなりつつ、母に「何食べたい?」と聞いてみると、「うなぎって、どんな味だっけ?」と。おいっ!
2週間前に食べたばかりのうなぎだけは勘弁して欲しいと思いながら、待っていると「特製洋食オードブル」がいいと。人気No.1でローストビーフ、海老バネフリット、キッシュなどいろいろ入ってます。
1人2,200円でこれでもよかったのですが、喜寿でめでたいということもあって、わたしが和洋折衷コース1人前3,000円のほうに格上げして注文しました。
盛岡グランドホテルのテイクアウト到着!
ホテルの味は、タクシーで運ばれてきました。これもいいですよね、ウーバーより高級感あります。
もちろん、忘れずにケーキもつけました。上の写真奥に、ショートケーキもあります。
母の前で歌うのは照れくさいので、YoutubeのHappy Birthdayを流し、親子で手拍子を打って、ろうそくの火を消しました。高級弁当を食べ始めて早速、母のリピートが始まってしまいました。
Birthday Songは瞬殺され、なぜこんな豪勢な食事をわたしはしているの?と何度も質問してきます。そのたびにわたしは「誕生日だから」の一言で返事をします。食べ終わるまで、この質問は何度も何度も続きましたが、無事77歳のお誕生日会は終了しました。
すごく美味しいのは間違いないのですが、お品書き的なものがたぶんなくて、文字や説明で楽しむことができなかったのは残念でした。これ、どこのウニだろ?みたいな。お米は岩手産ひとめぼれと書いてありました。
食後1時間ほど経ったころ、母がこんなことを言い始めました。
次の目標は傘寿(さんじゅ:80歳)、その次は米寿(べいじゅ:88歳)、亡くなった祖母は卒寿(そつじゅ:90歳)まで到達して、胸やけするホールケーキを食べました。卒寿まで13年、わたしはその頃61歳です。
コロナが終息していれば、来年は寿司&ケーキにします。弁当が豪勢すぎて、親子ともにお腹いっぱいになってしまいましたが、母が「夕ご飯食べたっけ?」というので、誕生日ケーキをしれっと出したら、ペロリと食べてくれました。
今日もしれっと、しれっと。
帰省できない今、早く母を抱きしめたい想いが募る今日この頃。この記事を読んでさらに深く母を想います。
私の母も数日後に誕生日です。以前にも書きましたが、私を生んでくれた母が生まれた日。今回は会ってお祝いできないけど違うかたちでお祝いするつもりです。
ふくいさま
そうですね。コロナ禍の今、新しいお祝い方法考えないといけませんね!
わたしもあと10日ほどですが、しっかり故郷を満喫したいと思います。