今年の1月、こんな記事を書きました。
前日までケンカしていても、認知症という病気がそのことをキレイに記憶から消し去ってくれて、純粋に笑いながら手を振って、息子を見送る母の姿を書きました。そして、年甲斐もなく、わたしがホームシックのような感覚になることも、恥ずかしいですが書きました。
実は、今年の途中から、見送られる側から見送る側に変わりました。どういうことかというと、母親をデイサービスに送り出したあと、家の戸締りをしてひとり東京に帰るようにしたのです。
わたしが手を振ると、母はデイ送迎車の中から笑顔で手を振り返してくれるのですが、100メートルも進めば、母はそのことすら忘れてしまいます。デイから帰ってくる頃には、わたしはすでに東京に居て、母は何事もなかったようにふつうの生活に戻ります。
見送られるときに感じる、何とも言えないあの思い
遠距離介護されている方、別居で介護されている方、家において仕事に行くときなど、ほとんどのケースは介護される側を残して、見送られるのだと思いますが、やはり寂しいとか不安な気持ちが襲ってきませんか?
置いていって大丈夫だろうか、ケガしないだろうか、ひとりで薬は飲めるだろうか、ひょっとしたらこれが最期・・・挙げたらキリがないくらいのことが、頭を駆け巡りませんか?介護施設や病院に預けている介護者も、こんな感情になりますよね?
祖母と病室でお別れするとき、死の直前は首ぐらいしか上がらない状態でも、右手だけは辛うじて挙げるあの姿を見ながら、あとどれくらい生きるんだろう・・・そんな思いで、いつも病室を後にしたことを今でも覚えています。
あまり多くはないけど、見送る側の例
重複しますが、デイサービスに行ってもらうとき、見送る側になります。無事行ってくれた安心感と解放感など、見送るほうがラクなのかなと考えました。
ただ、病院に入院することになったとき、介護施設に預けることが決まったときは、見送る側でも相当な寂しさが襲ってくるような気がします。
ということで、2017年も見送る側で行きたいと思っています。
やっぱり見送られると、いろいろと切ない思いがこみあげてきます。わたしが最も切ないと思う瞬間は、冬の盛岡でバス停まで雪をキュッキュッと踏みしめながら歩く、2月くらいが切ないです。振り返ると、寒いのに入口から顔だけ出して、見えなくなるまで見送る母の姿には、グッときますね・・・
東北新幹線で盛岡駅を発車すると、割と気持ちが都内モードに切り替わります。
今日もしれっと、しれっと。

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