【お知らせ】本日8月21日の岩手めんこいテレビ mit Live News(18時14分~)で、わたしの認知症介護と新刊の話が放送されます。都内にいるわたしはどんな放送か見られないのですが、お時間あるようでしたらご覧ください!
コロナ禍の今、次の介護帰省はいつになるか分からない、ひょっとしたらお正月になるかもしれない!
そんな思いから、認知症の母を「ごちそう」でもてなすことにしました。
帰京前日の夜、母がデイサービスから帰ってくる前に、前沢牛(1パック2500円)のすき焼きを準備しました。
岩手が誇るブランド牛は、本当においしい!都内で同じ肉を買ったら、倍の値段するのでは?(個人的には、いわて短角牛も超オススメ)
ちなみにコロナ禍の鍋(コロナかのなべ)なので、取り分け専用の箸を使い、母がすき焼きに手を伸ばそうものなら、手をピシャリとやる(実際はやってない)くらいの勢いで、鍋奉行をやりました。
一人暮らしの母は低栄養になりがちなので、すき焼きは肉を食わせる作戦の一環で、テレビを見ながら笑っている隙に肉をどんどん放り込む鍋奉行。前沢牛は、本当においしかったようです。
帰京直前の夕食は、すき焼きに続き、お寿司にしました。本当は寿司屋の出前がいいのですが、最近お気に入りのお店が見つかりません。岩手で有名な田清(たせい)魚店のお寿司もおいしいので、そちらを買ってきました。
「お寿司って食べたいと思うことはない」と母はよく言いますが、ヘルパーさんの買い物レシートに「助六寿司」の文字を見たときは、言葉を失いました。
17時の新幹線で帰京しなければならず、やむを得ず16時台に親子でお寿司を食べ、寿司を食べたいと思うことがない母は、しっかり完食しておりました。
本当はもっとごちそう攻撃をする予定でしたが、母のご飯3合炊きの逆襲にあってしまい、ご飯の消化に時間がかかり、結果ごちそう攻撃はわずか2回で終了となりました。
常にある「これが最期になるかもしれない」という思い
遠距離介護を8年続ける中、いつも「これが最期になるかもしれない」という思いがあります。
それは遠距離介護に限ったことではなく、誰もが同じ条件だと思うのですが、その思いが強くなったきっかけが、余命1か月と宣告された父の遠距離介護です。
余命宣告をされたら、最期の瞬間まで一緒に過ごす選択をする方も多いと思うのですが、わたしは母の介護もあったので、最期まで父の介護を通いの在宅介護でやりました。
父の別宅マンションを出るたびに「これ最期かもな」と思いながら帰京していたので、あの習慣が今も残っています。実際、父が亡くなったときは東京にいましたが、日頃からそういう思いで生活していたので、立ち会えなかった後悔はありません。
最期の瞬間が急にやってきたとき、母に前沢牛のすき焼き食べてもらった、おいしいお寿司を食べてもらったと思えれば、少しだけ救われますし、少しだけ介護の達成感が増える気がしますし、少しだけ後悔が小さくなる気がします。ごちそうは単なる自己満足ですが、帰省する直前はいつもごちそうになることが多いです。
それに口から食べ物を入れて、ゴクンとやれる時間があとどれくらいあるのか分かりません。認知症が進行して、前沢牛のありがたさを理解できなくなるかもしれません。おいしく食べられるときに、おいしいものをしっかり食べてもらおうじゃないか!と思いも、ごちそう攻撃につながります。
スーパーで380円のスイカと480円のスイカで悩んだときは、480円を選ぶようにしてます。元気なうちにうまいもの食ってくれ!自分のお金ではないけどね!ってなります。
ちなみにごちそうの支払いは、わたしです。
今日もしれっと、しれっと。
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