わたしが小学生の頃、本当にイヤだったことがあります。
それは、母と祖母の仲が悪かったことです。母は常にケンカ口調で祖母に話しかけ、祖母もそのケンカを毎回買ってしまい、ケンカの絶えない毎日でした。
大正生まれのファンキー祖母は、晩年こそ穏やかで優しかったのですが、認知症になる前は、孫のわたしともケンカするような人でした。
そんな性格だったので、夫と離婚。離婚後も2人の娘を引き取らず、自分はバリバリと働き続けた結果、女手一つで今の実家を建てます。当時の時代背景から考えれば、親族からもいろいろ言われたと思うのですが、それでもやり切った祖母を、変なカタチで尊敬しているわたしです。
定年退職後の祖母は、とにかく自分の稼いだお金を減らさないことに執着していました。どうやって減らさないようにしていたかというと、とにかく人に会いません。そして働き過ぎたのか、家事も娘にすべて任せるようになり、自分は家でボーっと過ごす時間が増えました。認知症になってしまった要因のひとつだと思っています。
おそらく、定年退職したことで燃え尽き症候群になってしまったのだと思います。男性でこういう方いますよね、会社勤めという目標を失った人が、燃え尽きて趣味も何もやらなくなるという、あれと同じです。
認知症介護の悪いお手本を実践する母
認知症になった祖母を、母は認知症介護を勉強するわけでもなく、それまでの親子関係を引きずったままで介護をします。
わたしは18歳で上京してしまったので、これらはすべて岩手にいる妹から聞いた話なのですが、とにかく母は認知症介護をする家族の悪いお手本だったようです。
日常介護もケンカ口調、認知症介護していてもケンカ口調・・・それまでの親子関係は、そう簡単に変えられるものではありません。
悩んでいる介護家族は確実に成長している
母のような認知症介護をしているご家族は、今でも山のようにいると思います。
介護の悩みにぶつかったとき、何かに助けを求めようと考えれられればいいのですが、誰に頼っていいか分からず、ひとり悩んでいる方も多くいることでしょう。
そのまま時間だけが過ぎる場合もあれば、強い思いから行動に移し、本を読んだり、ネットで検索したり、わたしの講演会に足を運ぶ方もいます。
そうやって講演会場にたどり着いた方が、泣き出したりすることもよくあります。そういった姿を見るたびに「ホッとしたんだなぁ、介護者として成長過程にあるんだなぁ~ 」と思いながら、わたしは話を聞いております。
そんなわたしもまだまだ成長過程なのですが、認知症介護7年目ということで、少しだけ余裕があります。
結局、母はそれまでの家族関係そのままに、怒鳴ってケンカして認知症介護を続けます。祖母もどんどん認知症が進行するのですが、勝気だった祖母も晩年はニコニコして、菩薩のような言動が多くなります。
そして母も認知症になり、祖母がなくなって今に至ります。母の子であるわたしと妹は、介護の最初からしっかり勉強したので、怒鳴ることはありません。
今は母がトイレで粗相したあと、自分でお風呂場で洗濯物を洗います。その後始末がいいかげんなので、お風呂場や排水溝で異臭を放っています。もうちょっとしっかり後処理をしてくれれば助かるのですが、認知症の進行につれ、決して後処理とは言えないほど、テキトーに掃除しています。
わたしがビニール手袋でそれらを回収し、臭いのしない「魔法の袋」に入れるという毎日です。あれだけ自分の母親に怒ってたことを、今は自分がやっている・・・そんなことを言いながら、うちら兄妹はいつも笑っています。
今日もしれっと、しれっと。