2013年11月4日、祖母は90歳で亡くなりました。
祖母の介護に関わって、1年で亡くなってしまったのですが、認知症の気配のあった母から介護のバトンを渡された時にはすでに、自分での意思表示は難しい状態でした。
介護が始まってすぐに、急性期病院の会議室に呼ばれ、医師から子宮の3分の2を覆う腫瘍をレントゲンで見せられながら、おばあさんの余命は半年と言われたことは、今でもしっかり覚えています。
子宮頸がんステージⅢa、長谷川式認知症スケールは30点満点で5点。何も分からない祖母に余命の告知をすべきか、延命措置はするのか、自宅に帰るか転院するか、次々と重い判断をしなければなりませんでした。介護が始まって、1か月しか経っていないのにです。
本人の意思に勝るものはない!
祖母の命の代理判断をしながら、できるだけ早く本人の意思を確認しておくべき!と強く心に誓ったのがこのときです。
4年後。悪性リンパ腫で弱り切った父の余命は、1か月。死にかけの父に、わたしは強い意思で本人の希望を聞き取りました。それだけ、祖母の命の代理判断は大変重く、厳しいものでした。
そうした思いを本に書き、講演会で話し、毎年この時期にエンディングノートの大切さを記事にしています。いずれ自分で判断できなくなるであろう認知症の母と、余命告知、延命措置、葬儀について話し合いました。
認知症の母が望む最期
母の認知症の進行具合から、本人の意思をハッキリ確認できるのは、あと何年なのかな……なんて思うこともあります。
それでも、祖母のときのような命の代理判断ではなく、父のときのように本人の意思を叶えてあげられるので、妙な安心感があります。
とはいえ、母が危篤状態になったとき、息子として心が揺らぐ可能性もゼロではありません。ただ祖母、父と看取りを経験し、その時の自分を俯瞰で見ると、おそらく母の意思をそのまま実行できると思っています、きっと。
今年もコクヨのもしもの時に役立つノート(エンディングノート)の内容に沿って、母の意思を確認しました。
余命告知はしない、延命措置もしない、葬儀は家族葬、ここ数年内容に変化はありません。ただ、大好きだった舟木一夫への思いが消えつつあり、なんとなく棺に舟木一夫の写真集を入れると書きましたが、どちらでもいい感じになっていました。
また話し合いをしながら、動画も撮りました。ノートの質問の意図が分からないことが何度もありましたし、日付をすらっと書けないこともあり、そのうち動画エンディングノートに移行するかもしれません。
こんなことを書きつつ、自分自身だっていつ亡くなるか分かりません。わたし自身はこんな準備をしています。
わたしの公正証書遺言
数年前、公正証書遺言を公証役場で作成済です。10万円ほどかけて作成した模様は、前作『ムリなくできる親の介護』の中に詳しく書きました。
わたしが今亡くなった場合、認知症の母と、社会復帰していない膠原病の妻が相続人になります。母は認知症なので、成年後見人をつけて相続の話をするという面倒な展開になります。
成年後見人を経験したわたしは、成年後見制度は最終手段と考えており、利用しなくて済むのならしないほうがいいと思っています。
そこで公正証書遺言を作成。奥さんが面倒なことにならないよう、わたしの財産の相続、そして母の介護についても、書いておきました。公証人と証人2人と、内容確認もしました。
死について考えるなんて縁起でもないではなく、特に認知症介護をしている方は早めに本人の意思を確認しておくことをオススメします。
今日もしれっと、しれっと。
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