年を重ねると感じる、体の衰え。
若いときほど長く眠れなくなった、ひざが痛くなった、暗いところで細かい字が見えなくなった、更年期になったなど少しずつ少しずつ、あれ?なんだろ?と体が変化していきます。
わたしも睡眠時間が減ったり、老眼を実感したりする瞬間が増えました。20代から30代、30代から40代の時とは明らかに違う老いの変化を受け入れる作業を、日々コツコツとやっています。50代から60代、60代から70代はきっと、もっと大きく変化することでしょう。
しかし素直に老いを受け入れられない、若く自分を保ちたい欲求も強いので、スポーツジムで体を鍛えたり、前はやらなかったお肌のケアをやったりして、徹底抗戦状態です。
抗うことで、ある程度は老いのスピードは鈍くなるのかもしれませんが、どうにもならない部分はたくさんあります。トライアウトに挑戦した同世代の元プロ野球選手新庄さんだって、どんなにビルドアップしても目だけはムリと言ってました。
しばらく運動していなかったお父さんが運動会のリレーで派手に転ぶ姿も、頭の中では20代の走り、でも体はしっかり50代になっていて、イメージと現実に相当な乖離があるからです。
この話を認知症介護に当てはめて考えてみます。
加速する認知症の進行スピード
介護者の多くは認知症を経験していないので、感覚が分かりません。
老いるスピードのひとつの基準として、自分が老いたスピードの経験値を使います。しかし、認知症の親は自分の基準をはるかに超えるスピードで老い、できないことが増えていきます。
なんでこんなこともできないの!さっきも言ったでしょ! つい声を荒げながらも、自分の感覚にはない老いのスピードに戸惑い、どうしていいか分からなくなります。
本当は自分の老いを受け入れるときのように、抗ったり受け入れたりを繰り返す時間が欲しいのに、階段を下るようにガクッガクッって認知症が進行してしまう。あまりに早すぎてショックを受け、目も潤みます。
事情が分かっている介護者は、予測して覚悟して準備できるのですが、イメージと現実とでは違うので、ショックは小さくできても、やはりどこかで動揺してしまいます。
この老いのスピードの差は、埋められないのでしょうか?
老いのスピードを疑似体験する
山の中腹で頂上を見上げても、この先にどんな道や林があって、あと何時間で頂上に着くのか分かりません。まさに介護者が陥りやすい、先の見えない不安と同じ状況です。一方で、山の中腹から下を見ると、登っている最中の登山者には、「あとちょっとー」、「もうここまでくれば大丈夫」なんて言えます。
自分が通ってきた道は理解できているから、登っている登山者はものすごく近くに感じます。しかし、頂上にいる登山者はものすごく遠い。結局、認知症介護も頂上が見えない状態で、遠くに感じながら、一歩ずつ進む必要があります。
では、その遠くに感じているものを近くに感じるにはどうしたらいいかというと、他の誰かの認知症介護を先に経験するか、他人の認知症介護の経験を通じて知識を得るかになります。
わたしの場合は、たまたま祖母の認知症介護を先に経験させてもらったので、母の未来がなんとなく想像できます。いずれこうなって、こうなってこうなると。ただ母のほうが若くして認知症を発症しているので、正直祖母より認知症の進行ペースが早く、そこはいつも戸惑います。
今介護している人以外の認知症の人を介護する機会は、プロ以外はないかもしれません。その代わりになるのが、他人の介護経験談です。介護ブログを読んだり、本を読んだり、講演会に参加したりして、遠くに感じるものを近くに感じるよう修正します。
翻訳作業が必要
ところが介護体験談が、自分と合致しないことはよくあります。介護者、被介護者の性格、育った環境、人間関係がまるで違うからです。それでも自分との共通点を見つけ、自分流にアレンジして取り入れる優秀な介護者はたくさんいて、わたしも勉強になります。
ちょっとでも自分と違うと本を閉じる人、自分の介護よりラクしていると嫉妬する人もいます。介護者には、他人の体験を自分の体験に置き換える翻訳の能力が求められています。
還暦を迎え、新しいことにチャレンジする気になった!みたいな俳優さんの映像をよく見ます。ってことは、わたしも還暦になればきっと、同じ思いになるはず。だったら、それよりもっと若いうちにいろいろチャレンジすればいいってことですよね。だって分からないですもん、いつ死ぬかなんて。
老いに抗うための最強の武器は「好奇心」だと思っています。この武器で老いに抗って、来年以降も楽しく過ごしたいです!
今日もしれっと、しれっと。
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