父と東京オリンピック

連日続く、日本勢のメダルラッシュ。

東京オリンピックを見ていて、急に思い出した。

2017年夏。

父は悪性リンパ腫が見つかり手術。退院後は在宅医療に切り替えた。

家に帰ってきたとはいえ、長期入院の影響でほぼ寝たきり状態。

余命1か月から3か月と医師から宣告され、弱っていた父に残された標準的な病気との抗い方は残ってなかった。

それでも、全国の末期がんの方が利用する温泉や様々な方法を試していたら、元気になっていった。やはり病院ではなく、自宅に帰ってきたことが大きかったと思う。

黙って何もせず最期のときを待つより、なんでもいいから試したほうが希望が持てるし、その希望が命の支えになっていたのだと思う。

ベッドで寝たまま食事介助が必要だった父が、台所の食卓で自分で食べられるようになっていた。

ひょっとしたら、余命宣告を裏切るかも?

元気になった父を見て、もう1年、いやもっと生きるんじゃないかと本気で思った。

その証拠に、お金が心配になった。

手持ちのお金がない父の、唯一のあてはマンション。マンション売ったらいくらになって、あと何年在宅医療が続けられるかシミュレーションした。

父自身も元気になる自分の体の変化から、余命宣告より先の月に予定を書いていた。


「ねぇ、この先の目標ってあるの?」


余命宣告された人に、普通こういう質問はしない。
おそらく余命宣告以上、生きると思ったから出た言葉。


「そうだな。東京オリンピック見てぇな」


3年先のオリンピック。さすがにそこまではムリだろう。
介護中、父とのケンカはしょっちゅうだったが、ムリとは言えなかった。

「ふーん」

このやりとりの1か月後、父は亡くなった。
当たらないで有名な余命宣告は、当たってしまった。

もし東京オリンピックを目標に生きていたら、ツライ最期だったかもしれない。
あのとき2020年のオリンピックが、2021年になるとは思ってないから。
新型コロナウイルスなんて言葉、1ミリも頭にないから。

命の目標が急に1年延期されたら、絶対心折れる。

選手の皆さんもきっと、1年の延期で大変な思いをされたんだろう。

東京オリンピック見せてあげたかったという思いより、命の目標にしないでよかったとむしろホッとしている自分がいる。

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工藤広伸(くどひろ)介護作家・ブロガー
1972年岩手県盛岡市生まれ、東京都在住。
2012年から岩手でひとり暮らしをするアルツハイマー型認知症で難病(CMT病)の母(81歳・要介護4)を、東京からしれっと遠距離在宅介護を続けて13年目。途中、認知症の祖母(要介護3)や悪性リンパ腫の父(要介護5)も介護し看取る。認知症介護の模様や工夫が、NHK「ニュース7」「おはよう日本」「あさイチ」などで取り上げられる。

【音声配信Voicyパーソナリティ】『ちょっと気になる?介護のラジオ
【著書】親の見守り・介護をラクにする道具・アイデア・考えること(翔泳社)、親が認知症!?離れて暮らす親の介護・見守り・お金のこと(翔泳社)、医者には書けない! 認知症介護を後悔しないための54の心得 (廣済堂出版)ほか