突然ですが、質問です。
被害者意識
その・・・介護に突入した人を悲劇的に扱うメディアが多いんですが、わたしは悲劇的にも、そして特別扱いもして欲しくないと思ってます。日常は何事もなかったかのように、しれっとしていたい。
自分自身を被害者化したくなくて、この状況を受け入れて、その中でいかにうまく立ち振る舞うかだけを考えたい。
「誰も分かってくれない」 「普通に生活している人がうらやましい」
「なぜ自分だけが、こんな苦労を・・・」
「誰も助けてくれない」
「わたしの人生が、めちゃくちゃになった!」
と被害者意識を持って生活し続けることで、マイナスのスパイラルに入りたくない。自分 ”だけが” というのは、他の人との比較から生まれるわけで、比較に何の意味も感じないわけです。
被害者意識を消しながら、後悔もしない、”程よい” 介護への達成感を保てる位置を自分で探したい。
先日ご紹介した介護界最強の映画「最強のふたり」も、首から下が麻痺した大富豪のフィリップに対して、スラム街に住む黒人青年ドリスは身障者というフィルタを取り除いて、しれっと対応してました。
あのしれっとした感じで日々過ごすには、実は本当に大変。ひとつひとつ不安のピースを取り除く作業を繰り返していく必要があります。人に頼ったり、情報収集したり、何より自身の人間的成長が必要です。
被害者意識が強くなるということは、自分自身と介護のバランスが崩れている状態です。介護 > 自分 の状態は、自分自身を見失い、その矛先が介護される人や周りの人になり、結果被害者意識になるんだと。
今年の元旦に発売した本の中で言いたかったことのひとつは、この被害者化です。この言葉は出てきませんが、自分を被害者化してしまった時点でアウト!人のせいにしても始まらないし、自分で切り開くしかない。
自分で情報を得ることができない、自分ではどうしようもない助けが必要な人は多くいらっしゃいます。ただ、この文章を目にする方は、自身で切り開く事が出来る人だと思ってます。
介護を受ける側も、実は同じことですよね。介護や介助という ”行為自体” は必要だけど、それとは別に人間としては”普通に”しれっと接して欲しいんだと思います。
今日もしれっと、しれっと。
私も「最強のふたり」を昨年観ました。身体の障害よりも心のバリアを取り除くことの大切さを教えてもらいました。この人は○○だからとか、かってに周りが決めつけるのではなくて、存在自体をあるがままに受け入れて、自然に接することを教えてもらいました。そう思ってはいてもいざ自分が実行することはなかなか難しいですが、このようにブログで発信していただき、そのことを思い起こさせてくださってありがとうございました。
薄田さま
最強のふたり、なんかいい映画ですよね。
もって生まれた性格もあるのであんな振る舞いはできないかもしれませんが、変に意識し過ぎるのもいけないんだなって学びました。ここ最近で、影響を受けたもののひとつになりました。
今日のお話大賛成です。母が認知症かもと初めてきずかされた時、先の事を考えたら胸がつぶれそうになり、ともかく自分の助けになる言葉を探しまくりました。ネットでいろいろな人のブログをよみましたが、ますますおちこむばかり…こちらのブログにたどり着いたときはやっと自分に対する答えを見つけたと思いました。日々後悔もたくさんですが、いつもこちらのブログを参考にさせていただいています。しれっとやりこなせたらきっと後悔しないでしょうね。生かされていればこその経験ですよね。ならばしれっと。いつも本当にありがとうございます。
misaさま
とてもうれしいコメント、ありがとうございます!!
答えを見つけた!と思って頂けて、ブログを書いていて本当によかったなぁ~って思いました。
好き勝手に日々つらつらと書いておりますが、お気軽にコメントください!
映画「最強のふたり」を見れば、さらに思いは強くなると思います。