母が5年以上、繰り返しわたしに言い続けてきた話です。わたしの返事はつれないもので、
駅のそばに川が流れているところなんて、全国山ほどあるよ
母に事実を伝えて、会話のラリーが終わるというパターンを何百回も繰り返してきました。ところが最近は、
盛岡はね、駅のそばにね。びっくりするのよ~
え、何がびっくりするって?
あれだけ何度も繰り返してきた「川」の話自体を思い出せなくなっているのです。わたしにとって川の話は聞き飽きているうえに、ストレスの原因であったわけですけど、定番のリピート話すらリピートしなくなる母を見ていると、認知症もここまで進行したかと思ってしまいます。
他にも歯医者に行くと、受付の若い女性が辞めたって話を毎回していたのに、最近は若い女性のところがなくなって、とにかく辞める人が多いという話になります。
言葉の一部だけでも思い出せなくなると、文章全体が成り立たなくなります。結果、母が何を言っているのか、全く理解できない日が増えてきました。妹と母の様子を情報交換した際も、母が何を言っているのか分からないことがあると言ってました。
あのリピートは嫌なものなんですけど、そのリピートすら懐かしいとか愛おしいとか思うようになる認知症介護のステージに、とうとう来てしまったなと思ってます。
認知症介護の定番の言葉に、「できないものを数えるのではなく、できるものだけを数える」ってのがありますが、「できるものを探すのが難しくなる」っていう、向こう側が少しずつ見えつつあります。
音声配信voicyの最新回は、お盆中の認知症介護について語ってます↓
今日もしれっと、しれっと。
盛岡はね、駅のそばにすぐ川が流れててね。盛岡に来た人が、びっくりするのよ~