昨年の出版記念イベントでお世話になった、はるから書店の小黒悠さんが作成されたZINE『母と私。父と私。』を読みました。購入した場所は、上野にある不忍池のそば。
読みながらふと浮かんだのは、「そういえば、自分の小学生・中学生時代を振り返った経験がなかったな」という思いでした。
50代になって、こんな気持ちになるとは想像していませんでした。ただ、この機会を逃すと次はなさそうなので、「三つ子の魂百まで」は本当なのか、自分の子ども時代で検証します。(三つ子に小学生は入りませんが、そこは大目に見ていただいて)
小学生、中学生時代の自分
小学校、中学校時代の思い出を探してみても、勉強やスポーツで表彰された記憶はなく、これといった実績は残せませんでした。勉強はまずまず、運動神経も悪くなかったので、不自由なく学校生活を送れたと思います。
小学校低学年のころ、軽いイジメが原因で母に「学校に行きたくない」と泣いて訴えた記憶はありますが、それも一瞬の話です。
当時はインターネットのない時代で、地方と都会との情報格差は相当なものでした。わたしはいつも情報が足りない情報飢餓を感じていました。地元で映るテレビ局はNHK、日テレ、TBSくらいだったので、「夕やけニャンニャン」ってどんな番組なのだろう? と思いながら、ルパンの再放送ばかり見ていました。
勉強ができたといっても、あくまで岩手の中だけの話です。全国で見れば平均以下だろうと思っていましたし、地元の新聞に記事が出たように記憶しています。そんな負い目に加えて、テレビでは芸人さんが東北をいじっていて、田舎はバカにされているのかなと、心のどこかで感じていました。
だから、なまりを個性にして頑張っている青森出身の王林ちゃんをめちゃくちゃ尊敬しています。こうした負い目があって、上京はかなりハードルの高い選択肢でした。中学校を卒業するまで、上京する未来は想定していませんでした。
三つ子の魂百まで
小、中学生のころと50代の今で、変わっていないのは「好奇心」です。
母からは「バスとか電車に乗ると、ずっと窓の外を見ていた」「あれなーに、これなーにと、質問ばかりしてきた」「電話帳が好きだった」と聞いています。
さすがに今は窓の外をずっと見たり、電話帳を見たりしませんが、好奇心は旺盛なままです。三つ子の魂百までは、本当だなと思います。
一方で、変わったのは記憶力です。若いころは、どうでもいい情報まで頭の隅に残っていて、必要なときにすぐ引き出せました。今は情報収集の量こそ格段に増えたものの、すぐ抜けていきます。
テスト直前の詰め込みは得意でも、長く記憶を保持するのは苦手でした。たとえば、名作とよばれる映画や懐かしのアニメは、観たはずなのに全く覚えていません。昔からそうで、今も変わりません。
好奇心だけは残っていて、それを突き動かす体力や記憶力は衰えている。今の自分は、そんな感じでしょうか。
今日もしれっと、しれっと。





























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