ショーンK詐称事件の痛快なところは、彼が高学歴のおっさんたちを二度殺すからなんだよ。一度目は、彼の子供騙しのような詐称を見抜けなかったこと。二度目は、それを知った後に突然彼を非難することにより、自分は人を経歴で判断して、言葉の中身なんか評価できない無能だと自ら宣言させること。
— Kazuki Fujisawa (@kazu_fujisawa) 2016年3月19日
藤沢数希さんのツイートですが、この二度目の部分がわたしには「認知症における介護家族の病院・施設選び」にしか見えなかったのです。
「人を経歴で判断して、言葉の中身なんか評価できない無能だと」
頭の中で、こう変換されました。
「病院や医者をネームバリューだけで判断して、診察の中身なんか評価できない」
「施設を規模や見た目のきれいさだけで判断して、ケアの中身なんか評価できない」
自著の中にも似たような話を書きました。ひとつひとつの判断にたくさんの時間をかけられないから、人は経歴で評価をざっくりと決めようとします。週刊誌の見出しやYahooの記事タイトルだけで判断する・・・現代人は忙しいのでそうなりがちです。
ハロー効果
ウィキペディアを引用するとこうなります。
ある人が難関大学卒であったり、スポーツに優れていたり、字が上手だったりする場合、その人が学力や体力や字の上手さにおいてだけでなく、人格的にも優れていると思い込んでしまうケースが挙げられる
これはわたしもそういう心理状態になったりするので、人間の本質としてしょうがないのかなと。ただ認知症の世界においては、このハロー効果は限りなく捨て去ったほうがいいとわたしは思っています。
キーワードは「時間」
病院選び、医者選び、施設選び、選んだ瞬間は一瞬でも、どれも長くお付き合いしていくのが認知症介護の特徴です。「時間」を味方につけることで、
「あれ、有名な大病院なのに、なんか違うな」
「テレビにたくさん出ている先生なのに、対応がひどいな」
こんなことにもなります。一瞬の判断も、ハロー効果も、「時間」をかけることで、冷静な判断ができます。わたしの祖母が居た療養型病院もすごくきれいでしたが、今でもあの判断でよかったのか?と思う事があります。
「時間」を味方につけたあと、唯一気をつけないといけないのが「習慣化」です。
「もうあの先生と3年もお付き合いしているから」
「あの施設しか、この辺にはないから」
習慣化してしまうと、考えることを止めてしまいます。「あれ?」と思っているときに動かないと、「習慣化」という恐ろしい結末が待っています。いいことは習慣化すべきですが、ダメでも継続してしまうということがよくあります。
ショーンさんはウソはついたけど、まともなこと言ってたという意見も増えてきましたね。
「あの施設ぼろいけど、対応はすごくよかった」
例えると、こんな感じでしょうか?
ところで、なぜアイキャッチの画像が「ひつじ」か分かりましたか?
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ひつじのショーン
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今日もしれっと、しれっと。
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