【認知症】「要介護度」 と 「介護の苦労」 は比例しない

認知症 一貫性

要介護度と介護の苦労は比例しない

いきなりですが、“認知症の介護” において

「要介護度と介護の苦労は比例しない」

という事を、急に書きたくなりました。

例えば我が家を例に取ると、要介護度3の亡くなった祖母(享年90歳) vs 要介護度1の母(70歳)。どちらも認知症ですが、わたしの介護ストレスは、介護度の低い母の方が大きいんです。普通に考えれば、

「要介護度のランクが上の、祖母の介護が大変」

となりますが、わたしはそう感じません。要介護度という単なる数値では測れない部分が、たくさんあるからです。母と祖母、それぞれの認知症の症状はというと、

<要介護3の祖母>
認知症レベル 「やや高度」、長谷川式認知症スケール30点満点で5点、徘徊、弄便、妄想

<要介護1の母>
認知症レベル 「軽度」 長谷川式認知症スケール30点満点で28点、被害妄想、作話

祖母は子宮頸がんで入院していたので、わたしが直接介護する時間は母よりも少なかったです。

直接介護をせず、病院にお願いしていたから、要介護度が高くても介護の苦労を感じなかった・・・そうではなくって、「認知症の人との会話の苦労」 についてだけ書きたいのです!例えば60分間、祖母と話すのと、母と話すのとでは、母の方が断然疲れます。

要介護度3の祖母との会話はラク

祖母との会話は、本当に限られたものでした。わたしの見た目、畑に何を植えたか、小学校時代の皆勤賞 など、1年間病院に行くと毎回同じ話でした。同じ話なので、同じ対応をしていれば何とかなりました。妄想に関しては、病院を自宅と勘違いしていても、祖母に対しては許すことができました。

要介護度1の母との会話は厳しい

一方、母との会話は、同じことを何回も言う割には、微妙に話が変わります。被害妄想が多く、ネガティブなので、聞いていると不快なものも多いです。こちらが話を否定しようものなら、全力でこちらに向かってきます。

暴言を吐く要介護度1の認知症の人と、おだやかな要介護度3の人ならば、介護する側の心理的ストレスは要介護度1の方が大きいです。

「要介護度が高い=介護がつらい」

とはならないんです。要介護度で判断してほしくない!とか、性格で介護の大変さを判断すべき!とか、そういう事を結論として言いたいんではないです。では何が言いたいかというと、こういう事です。

「期待度」 の違い

祖母に対しては、「あきらめ」 の気持ちがありました。

「この人には何を言っても通じない」 
「本人にとって楽しい話をして、話を合わせてあげればいい」

こういうスタンスで接してました。病院を自宅だと勘違いして、

「今から大根植えに行く」 と祖母が言えば、

「そうだね、大根の季節が来たよね」 と素直に言えました。ところが母が同じ事をいったら、同じ気持ちで素直に言えないんですよ。

「そ・・・そうだね、だ、だいこんの季節がき、きたよね・・・」

ってなります。そうなんです、母に対してはまだ、「あきらめ」 の境地に達してないんです。

「おかしな事はいうけど、会話は成立する」 「認知症だけど、これくらいはまだ理解できるでしょ」

どこかで「否定」したり、「期待」したりしているんです。あきらめの境地までいかないと、介護の苦労は減らず、苦労するってことは期待していることの裏返しなんだなと。あきらめないという事は、まだ期待が残っているんだと。結論を言うまで、時間がかかってしまいました(汗)

介護家族がたどる4つの心理的ステップ

このブログの右側で紹介している本の著者、川崎幸クリニックの杉山孝博先生はこのように表現しています。

第1ステップ 「とまどい、否定」 第2ステップ 「混乱、怒り、拒絶」
第3ステップ 「割り切り、あきらめ」 第4ステップ 「受容」

祖母に対してわたしは第4ステップで、「異様な言動よりも、残された能力や優しさなどのいい点のみに目が向く」 という悟りの境地に近いところまでいってました。余命宣告を受けたのも、大きかったです。一方の母は、まだ第2ステップです。

第1ステップの「とまどい、否定」は、「いったい母に何が起こったかと戸惑い、母は認知症ではないと否定する」 ステップは1年以上前に過ぎました。第2ステップでは、「さっきも言ったでしょ!と怒り、この人がいなければどんなに楽だろうと拒絶する」 今のわたしはこれです。

但し、認知症介護の勉強は相当してきたし、第4ステップまで経験しています。厳密に言うと、2.5ステップです。

「怒りも抑え、拒絶もしてない。割り切ったり、あきらめるよう自分自身に言い続ける」

こんな感じです。第2ステップの期間が一番長いと、杉山先生は言います。なかなかあきらめの境地には移行しませんが、自分自身をそっちに持っていくように努力するだけでも、だいぶ違いますね。


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【わたしの書いた最新刊】
東京と岩手の遠距離介護を、在宅で11年以上続けられている理由のひとつが道具です。介護者の皆さんがもっとラクできる環境を整え、同時に親の自立を実現するために何ができるかを実践するための本を書きました。図表とカラーで分かりやすく仕上げました。

4件のコメント

わかりますよー。
私もステップ4まで行ったなと思っていたのですが
最近薬が効いてきたのか母の記憶がだいぶ残っていたり、IHも使ってみたりと段々マシになって
そうなると私のステップも4から2へと戻ったようで辛くなってきました。
同じ話をされるのは慣れましたが、夕方ぐらいにその日の記憶を尋ねられることが多くて。
肯定しても否定しても母は記憶がないから「わからない:」って返事くるのはわかっててもイライラします。
ドウ答えたって「わからない」んだからだまってろと言いたくなります。時々は「聞いてないよ」とまで言います。質問したことを覚えてないのかひとりごとのつもりなのか・・・。
介護側の肉体的にはラクでも精神的にきついのかもしれませんね。

syumitektさま

いつもコメントありがとうございます!

そうなんですよね、ステップ4までいったら2まで戻ったり落ちつかないんです。

悟りの境地はまだまだ先です・・・でも期待の裏返しだから、当分開けそうにありません。

先日、長らく抑鬱と診断されていた母(69歳)に、前頭葉の血流低下が認められたため、前頭側頭型認知症との診断を受けました。どこかで覚悟はしていたのですが、やはり告知されることはつらいものがあります。「4つのステップ」を拝見して、「悲しみ」はどこに入るのかしらと不思議に思ったため、コメントを投稿いたします。これも「戸惑い」のステップに属するのでしょうか。

深刻な介護話が多いなか、工藤さんのブログはきちんと前を向かれていて、とても救われました。ありがとうございます。

Whitesnow20さま

このご質問、とてもいいですね。なるほど!と思いました。
わたしの回答ですが、悲しみはどのステップにもあるものだと思います。

第1ステップは認知症を受け入れられないステップですが、この時は親が認知症になった悲しみがあります。第2ステップでも怒って拒否していても、理解してもらえないと涙は出るものです。
第3、第4ステップは割り切っているし受容しているから悲しくないというわけではなく、余裕が出るからこその悲しみもあります。悲しみとは、うまくつきあっていくしかないのかなと。

本当の答えは、尊敬している杉山孝博先生の講演会で直接聞いてみるといいかもしれません。

わたしのブログで救われたのこと、ありがとうございます!

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ABOUT US
工藤広伸(くどひろ)介護作家・ブロガー
1972年岩手県盛岡市生まれ、東京都在住。
2012年から岩手でひとり暮らしをするアルツハイマー型認知症で難病(CMT病)の母(81歳・要介護4)を、東京からしれっと遠距離在宅介護を続けて13年目。途中、認知症の祖母(要介護3)や悪性リンパ腫の父(要介護5)も介護し看取る。認知症介護の模様や工夫が、NHK「ニュース7」「おはよう日本」「あさイチ」などで取り上げられる。

【音声配信Voicyパーソナリティ】『ちょっと気になる?介護のラジオ
【著書】親の見守り・介護をラクにする道具・アイデア・考えること(翔泳社)、親が認知症!?離れて暮らす親の介護・見守り・お金のこと(翔泳社)、医者には書けない! 認知症介護を後悔しないための54の心得 (廣済堂出版)ほか