認知症介護が始まった2012年からずっと、母が繰り返し言ってたこの言葉。認知症が進行し、30点満点の認知症テストで9点しかとれなくなった今でも、言うことは変わりません。
90歳で亡くなった認知症の祖母が本当に「気持ちは20歳」と言ってたかは不明だし、少なくともわたしは本人の口から1回も聞いた記憶はありません。
仮に違っていたとしても、77歳で認知症が進行している母の気持ちは、20歳で乙女なのは事実。ということは、これから老いていくわたし自身もしばらくは硝子の少年時代が続き、80歳になっても舗道の空き缶蹴とばして、バスの窓の君に背を向けるみたいです。
77歳になってもおばあちゃんとは思わない
確かに母は待たせないよう準備はしてます、送迎車が来る2時間も前から。
というツッコミを心の中で入れつつも、気になるのは「おばあちゃん」発言のほうです。80代のデイ利用者さんを「おばあちゃんたち」と言いますが、77歳のあんたも十分おばあちゃんやろ!
たまに「77歳なんだから、自分もおばあちゃんでしょ?」と言うと、母は納得するものの「気持ちは若い頃と変わってないのよね~」と言い、わたしは「認知症が進行しても、そういうものなのかな?」と毎回、心の中で思います。(言葉には出せない)
確かに、2分前に話したことは覚えてないかわりに、10歳~30歳くらいの記憶は鮮明です。気持ちは20歳なのも、なんとなくですが納得できます。
ただ、この話の結論は認知症の症状の中で生きている時代のことではなく、単純に人間は年老いても、たとえ認知症になったとしても、なかなか老いを認められないんだなと。認知症が進行したら、老いを受け入れるのかなと思いきや、どうやらそんなこともないみたいです、母の場合。
その思いは、自分自身に置き換えても分かります。先日もアメトークのバスケのシーンを見ていて、たぶんレイアップシュートぐらいはできるだろうと思いながら見ていたのですが、体育館に行ったらアキレス腱やっちゃうかもしれません。
ヘタにスポーツジム通いとかしているので、気持ちのうえでは学生時代と同じようにボールを扱えるのですが、運動会で足がもつれるお父さんになるかもしれません。いくら気持ちは若く保てても、体は確実に老いています。
母の乙女発言から、わたしも老いを受け入れるのに、まだまだ時間が必要なんだと悟りました。母の乙女な気持ちは大歓迎なので、わたしも少年の心を忘れず、だけどイタイ感じにならないように、程よく老いていければいいなと思っています、誰かそのコツ教えてください。
実はそっくりな記事を以前書いていたことに推敲中に気づき、削除しようかとも思ったのですが、母の話の内容もわたしの受け取り方も若干違っていたので、そのまま載せました。
音声配信voicyの最新回は、母をデイサービスに連れて行こうとして2年もかかってしまった経緯のお話です。ブログに書いてないお知らせもあります↓
今日もしれっと、しれっと。