認知症の母の口癖で、爪切りを探す素振りも見せないまま、居間のコタツに入った状態でこう言います。爪切りを探している最中に言ってくれるのならまだしも、探しもせずにただ言うだけの母。さらにものとられ妄想も若干入っていて、自分で失くしたのではなく貸したと必ず言います。
爪切りはいつも同じ場所にあって、母に見せると「あったあった」と言います。だけど、爪切りを使う気配がありません。こうした状態が1年以上繰り返されたあと、これまでの行動すべての点が1本の線になったのです。
認知症の母に自分の爪を切ってもらう
この日もまた、「爪切りどこ?」という母。いつものところに爪切りがあったので、今回は母に爪切りを渡して、母自身に切ってもらうことにしました。
母は手が不自由ですが、自分で爪は切れます。そんなに力が要らない爪切りを10年前くらいから使っていたのですが、どこかに失くしてしまい見つかりません。同じ色で同じ形状のものがマツキヨにあったので、それを新しく購入しました。
わたしはテレビを見ていたのですが、母の爪切りが思いのほか早く終了。新しい爪切りの調子がいいのかもと思って、ふと母の手を見たら想像と違った画になっていました。
一言で例えるなら、ネイルが大好きな若い女性の爪みたいになっていたのです。いつもはこんなに残さないのに、まあまあ爪の白い部分が残っています。
母に理由を聞いてみると、爪を切り過ぎのがイヤだから、ちょっとだけ切ったと。これまでもそうしてきたのならまだしも、そんな切り方はしていません。いつものように認知症の視点から考えてみると、今回の爪切りが全く違う光景に見えてきました。
認知症の人の視点で爪切りを考えた
母の言動から、おそらく次のことが推測されます。
- 爪切りの場所が分からなかったから、爪を切らずに伸びてしまった
- 爪切りの使い方自体が怪しくなっていた
- 爪をどれくらい切ったらいいか、分からなくなっていた
さらに、爪切りを終えた母の手を見てビックリ。親指から順番に爪を切るのかと思いきや、親指、中指、小指を少し切っただけで終えていたのです。早く終わった理由がこれで、自分でどの指を切ったのかまで、分かっていないようでした。
認知症の進行状況から考えても、爪切りにまで影響してもおかしくはありません。でも、認知症介護の本をあれだけ読んでいても、爪切りの話は1度も見たことがありません。そんな日常まで、取り扱う本はないのかも。
やたらと爪切りはどこ?と言っていたのも、おそらく爪が伸びた違和感をわたしにアピールしていたのかもしれません。違和感はあるけど、爪切りの場所が分からない、爪の切り方が分からない、結果として、ネイル好きの若者くらい爪が伸びていたのだと思います。
結局、わたしが残りの爪を切ったのですが、今後はわたしが切るのではなく、できるうちは母自身に爪を切ってもらいます。ただ、今後は最後まで爪切りの観察が必要になりそうです。
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今日もしれっと、しれっと。