母は重度の認知症で、もはや料理はできません。
元々料理が得意で、私の東京の友達を岩手の実家に招待してご飯を食べてもらうと、みんな驚くレベルでした。認知症になったあとも10年くらいはできる料理を作ってもらったり、手伝ってもらったりしていたのですが、今はお皿を洗ってもらうのみになってしまいました。
しかし子育て中の習慣や仕事で料理を作っていた習慣が母の頭の中にしっかりあるので、料理はできなくても、1日に何回も「料理を作らなきゃ」スイッチが入ってしまいます。
誰のために料理を作るのか?
母は岩手の実家にひとりで住んでいるので、同居家族は誰もいません。わたしが遠距離介護で帰省すれば2人になりますが、基本は1人です。
しかし家の中に誰かがいると思っているようで、「母さん(死んだ祖母)がさっきそこにいた」「もうちょっとしたらお客さんが来る(誰も来ない)」と言って、食事の準備をします。
料理ができない母の食事の準備は、冷蔵庫の中の食材を居間のコタツのテーブルの上に並べるか、食器棚にある食器や箸を並べるだけです。

食器を片付けるのはヘルパーさんですし、暑い部屋に一晩中食材を放置する日もあるので、カメラで見つけたらお願いして、ヘルパーさんに捨ててもらいます。
ひょっとしたら母は居間に座椅子が「2つ」置いてあるから、食事の準備をしてしまうのでは? と考え、座椅子を1個にして様子を見ることにしました。
座椅子を1つにしてみたところ
遠距離介護を終え、帰京した翌日のことです。
見守りカメラで居間にいた母の様子を見たところ、座椅子を片付けたにも関わらず、母は冷蔵庫に入っていたジュース、食器棚にあった皿をしっかり並べ、目論見は失敗に終わりました。母の頭の中に誰かがいる限り、体が動く限りは食事の準備を続けそうです。
ある程度、母の自由に行動してもらっていましたが、食材のロスが増えるし、ヘルパーさんも毎日食器の片づけが大変なので、冷蔵庫にベビーガードを取り付けるなどして制限をかけています。
一方で、食事をムダに準備することが筋力トレーニングになっている面もあるので、程よく制限をかけながらも、程よく自由にやってもらう余白は残してあります。
母は、1回準備したら終わりではありません。1時間くらい準備を繰り返すのですが、それくらい時間が経つと疲れて、やっとテレビを見ます。食中毒を避け、包丁など危険なものを隠しつつ、食事の空準備は続けてもらうのがいいのでしょうね。
今日もしれっと、しれっと。

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