ちょっと前に書いたブログ記事
は、多くの方に読んでいただきました。「母の認知症が重度まで進行して、介護がラクになった部分もある」といった内容でしたが、実際はそう単純な話ではありません。朝7時:「今日、どこさ行くの?」
朝7時10分:「ねえ、今日はどこさ行くの?」
朝7時20分:「今日はどこさ行く?」
母はこの質問を、朝だけで10回以上繰り返します。最初はきちんと返事できても、次第に「さっきも言ったでしょ!」となり、不要な衝突へと発展していきます。そんなイライラが募り始めたとき、心の中でつぶやく言葉があります。
「明日にでも、死んでしまうかもしれないんだよな」
認知症介護14年目、82歳の母との日常
母は現在82歳で、認知症を発症して13年以上が経ちました。
残された人生の時間は、おそらく53歳のわたしより短いでしょう。母と小さな小競り合いをしたとき、意識的に心の中で、こうつぶやくようにしています。
この言葉を心の中で唱えると、これ以上言い争いはしないスイッチが発動します。すると8割の確率で、ケンカは終わります。残りの2割はケンカを続けてしまうわけですが、この考えを持っているかどうかで、親子とも余計なストレスを抱えずに済むのでは? と考えています。
「残り少ない」と「まだ続く」の間で揺れる心
多くの介護者はきっと、1度くらいはこんなこと考えた経験があるのではないでしょうか?
とはいえ、介護の状況やその日の気分によって、この言葉をつぶやけずにケンカをして、あとで後悔する日もあります。
残り少ないかもしれない人生の時間のことを考えれば、おそらく介護者は優しくできるはず。そんなことはわかっていても、なかなかそうもいかない――これが介護の現実です。
一方で「あとどれくらい介護が続くのか」と考えることもあります。
残り少ないはず、でも100歳を超えて長生きするかもしれない。それは幸せなことかもしれないけど、介護者として体力は持つのか、お金は続くのか。
そんなことを言っている間に、母より先にわたしが亡くなる可能性だってあるわけです。未来が見えないと、こうもいろいろと考えてしまいます。
結局のところ、先のことをあれこれと考えすぎずに今を生きるしかないのだと思います。ただ自分にとって後悔がなく、親子ともストレスを減らすためには「母に残された時間は短い、だから自由に生きてもらおう」、こう考えておくほうが自分のためにもいいようです。
今日もしれっと、しれっと。





























しょうもないケンカをして、残り少ないかもしれない人生の時間をムダにするより、楽しいこと、好きなことをしてもらったほうがいいよな