盛岡に着いて早々、母の質問にびっくりしました。あの凄まじいCMの回数に、母も影響されたようです。
まともにグランブルファンタジーの略と答えた自分に、笑いのセンスがないなぁと変なところで落ち込みました。「高ぶる」の最上級 とか言えばよかったなぁ・・・
★★
日曜日、SVP東京のネットワークミーティングに行ってきました。
今回のテーマが珍しく「介護」だったのと、NPO法人アラジン代表・牧野史子さんのお話を聴くための参加でした。
SVP東京とは?
パートナー(個人)と呼ばれる方が10万円を出資、それを集めて年間100万円×2年間の資金提供をしたり、経営サポートをするという志の高い団体です。以前ご紹介した特養や老人ホームで生演奏による音楽プログラムを提供しているリリムジカさんも、このSVP東京の支援を受けていました。社会貢献している団体への出資がほとんどです。
元上司がこのパートナーをやっていたので興味を持ち、テーマが面白そうなときは飛び入り参加しています。
分離不安とは?
牧野さんのお話の中で、最も興味深かったコトバが「分離不安」でした。お子さんがいらっしゃる方ならば、聞いたことあると思います。簡単に言うと、親離れできない子どもを指します。母親から離れたくない、独占したい、そんな気持ちのことです。
介護における「分離不安」って、何だと思いますか?
- 介護者側が被介護者を離したくない、いつも手元においておきたい
- デイサービス、デイケアに通わせたくない
最初、介護される人が介護者を離さないという意味かと思ったら、逆でした。施設や病院を信用できないという不安、近所や親族などの周りの目が気になって、自分で全部見るという不安も含まれます。
この分離不安は、介護の孤立化を深めるはじめの一歩です。文字にしたらたった4文字ですが、介護うつや殺人へと向かわせるとても怖い心理状態です。
分からないでもないと思ったワケ
わたし自身は「分離不安」はありませんが、ある瞬間だけはきっと分離不安になります。それは、母を特養や老健へ預けると決める瞬間です。
在宅介護を続けていた人がさまざまな理由で、入所を決めることってよくあります。今までなんとか在宅で頑張ってきたのに、急に手放すという選択をしたとき、だれもが「分離不安」と葛藤するのではないでしょうか?
まだまだ自分で面倒みたい・・・でも、もう限界・・・
こんな自分との闘いをする方は、たくさんいらっしゃいます。この場からいなくなってくれ!なんて日もあれば、あれ?いないんだという空虚感がやってくる・・・介護者のウラハラな気持ち、とても複雑です。
エンディングノートも大切、でも割り切れないモノ
こういった不安を解消するためには、わたしはエンディングノートを活用すべし(またかいっ!)と思います。介護者の代理決断ではなく、それが被介護者自身の意志で施設に行くなら納得できるからです。
うちは母の意志を聞いている(息子がどうにも大変になる&名前が分からなくなる場合は施設へ預ける)ので、分離不安の感情は、他の家庭よりも少なくて済むと思っています。
あとは、介護者自身のプライドを捨てることでしょうか。周りの目が気になる、口だけ親族がいるとか、そういうことを気にしていると分離不安に陥ります。最後に
今まで一緒に過ごしてきた時間たちと、どう折り合いをつけるか?
これだけは、エンディングノートでもプライドでも解決できないですよね。施設に預けて自分の時間が増えてきたとき、解放感と寂しさが同時に襲ってきます。解放感が勝るまでの時間をやり過ごす、これもとても大切です。
今日もしれっと、しれっと。
分離不安あるある。
分離不安、わからないでもないけれど、それよりは「施設に預ける→運動量が激減する→歩けなくなる、ぼける→寝たきり」という経過をたどった父を見ているので、今まだ在宅の母については施設に預けるのは躊躇します。とはいっても、そろそろ限界、どうしたものか悩んでいます。
けろぴぃさま
うちの祖母は子宮頸がんでしたので、がんで入院→徘徊する→ベッドから落ちて大腿骨骨折→運動量激減→寝たきり→死去 こんな経過でした。
つい先日下記記事を書きましたが、運動量が減る環境は絶対に避けたいです。
「退院できればいいワケではない!」ある人の無力さから学ぶこと
https://40kaigo.net/care/rehabilitation/8490/