妹からバトンを受けまして、今週から再び東京と盛岡の往復が始まります。
盛岡は東京ほどは暑くないのですが、わたしの実家の部屋は28年前の高校生の頃のまま。エアコンもないし、扇風機は熱風しかこないので昼間は作業ができません。夜になってギリギリ、ブログが書ける感じです。
久しぶりに帰省して早々、こんなやりとりがありました。
1時間で10回ほど、このセットを繰り返しまして、相変わらず母は絶好調だなと確認したところです。記憶の保持が本当に難しいようですが、質問してくる内容はいつもと変わらないので、なぜかホッとしています。
認知症の母の本音が今になって分かる
ここ最近の話でもないのですが、認知症の母が「理性」という殻を失い、「本音」で生きる姿を見る機会が増えました。
わたしの場合、「こう発言したら、失礼だろうな」とか「本音をそのままぶつけたらケンカになるから、建前でうまくかわそう」といった理性を働かせながら、この世を渡り歩いてきたし、今も継続中です。ただ、フリーランスになってからは、本音の割合がだいぶ増えました。
母はどんな本音を言うのか?例えば、
と、認知症になってから言うようになりました。
これらはどういう意味かというと、さとこは嫁ぎ先で苦労していると、母の中で勝手に思い続けてきた本音が、今頃になって爆発している感じです。実際、さとこは嫁ぎ先でうまくやっていますし、家も建てました。離婚しない限り、実家には戻ってきません。
兄のわたしが、妹に勉強を教えていたという事実はありますが、勉強できない!と怒ったことはありません。兄妹間で比較したとき、妹のほうが勉強に関しては不安な面があったので、当時の母が心配していた気持ちが、今頃になって変わった形で表に出てきました。
亡くなった父は、突然会社の人を家に連れてきて、飲ませたり食わせたりする人だったので、母は本当にイヤだったのだと思います。そんな本音を亭主関白の夫にはいえない、それをずっとガマンして生きてきたけど、認知症になった母。父が亡くなったあとも、わたしに不満を爆発させています。
聞いているわたしは、あまり気持ちのいいものではありません。しかし、母の生い立ちを考えたとき、どれだけの思いを押し殺して生きてきたのだろうと・・・。
男尊女卑な時代背景、子供の前では理想の母を演じなくてはならない、やりたかったこともガマンし、湧き上がってくる意欲とか怒りとか悲しみとか、とにかく消して消して消す毎日だったのだろうと思います。
もし認知症にならなかったら、そういった本音は「理性という名の箱」に閉じ込め、封印シールを貼り、そのまま人生を終えていくところでした。しかし理性が効かなくなった今、本音が箱からだだ漏れているのも、正直悪くないなと思うようになりました。
本人にその意識がないことは残念ではありますが、このタイミングで母の本音を知ることができることも、認知症介護の醍醐味なのかもしれません。親の思いを何も聞けずに看取り、後悔している人はいっぱいいるわけですから。
今日もしれっと、しれっと。
母が認知症になっていなかったら、親という立ち位置にある母の姿しか
私は見ることができなかったかもしれません。
でも今は、一人の人間としての母と接しながら
くどひろさまと同じように、「こんなふうに思っていたのか」などと
意外に思ったり納得したりしながら過ごしております。
認知症介護の醍醐味…正にそのとおりですね。
hakoさま
そうですよね!こんなふうに思っていたのかと思って過ごせることが、すばらしいと思います。
この茹だるような暑さのなか
しみじみ、考えさせられました。
認知症であろうと、なかろうと、私のまわりの人のことばをしっかり受け止めたいな^_^
会話って大事なんですね。
さゆさま
わたしの文章でしみじみ考えるきっかけになって、とてもうれしいです。
おっしゃるとおり、会話ってものすごく大事だし、隠れたヒントがたくさん眠っていると思います。