認知症の祖母は90歳で亡くなったのですが、たぶん80歳頃にアルツハイマー型認知症を発症したと思います。
10年の認知症の期間のうち、わたしが介護にあたったのは最後の1年のみ。残りの9年は、認知症になる前の母が祖母の介護をしました。
母は東京で働いていたわたしに、祖母の介護のことはあまり話しませんでした。子どもに迷惑をかけたくないと思うタイプだったのだと思います。
どうやって見つけたか分からない要介護認定をしっかり受けていて、祖母をデイサービスに通わせることに成功しています。包括の名刺もありましたし、母はしっかり調べていたっぽいです。
わたしは当時30代で仕事が忙しく、実家への帰省は年1回スノボのみ。たまにあう祖母は多幸的で、あまり意識もしてなかったので、自分が介護する前の祖母の認知症の思い出がほとんどありません。
銀行好きな祖母
ただ、祖母の介護を1年するうちに、母からの話や自分で得た情報から、祖母の認知症の様子が分かりました。
祖母は子宮頸がんになるまでは、認知症以外は全く問題がありませんでした。なので、ひとり歩き(いわゆる徘徊)があって、お金が大好きだった祖母は、しょっちゅう銀行へ行っていました。
母の話では、祖母がひとり歩きで行方不明になったことはなく、必ず家に帰ってきていたと。それはひとり歩きではなく、散歩ではないのかと今でも思ってますが、手足の不自由だった母は追いかけられず、不安だったと思います。
なぜ銀行に祖母が行ってたことが分かったかというと、わたしが成年後見人として祖母の銀行の金銭管理を任されるようになり、窓口でこう言われたからです。
その後わたしは、近所の銀行や郵便局、証券会社を宝探しのように回りました。
祖母が保有する銀行口座がどこにあるか分からない、認知症の祖母に聞いても答えてもらえない、介護をしていた母も知らない・・そんな感じでした。
たぶんここだろうと思った銀行や、40年前のダイレクトメールの記憶をたどっての捜索でした。それで郵便局でまさかのお金を発見したときは、お宝だ!そう思いました。
祖母と母は犬猿の仲
元々、祖母と母は仲が悪く、わたしが小さい頃はずっとケンカしてました。祖母は今でいうところのネグレクト(育児放棄)に近いところもあったので、嫌いな親を介護する母もずっとイライラしていたのでしょう。
祖母が亡くなって6年が経ちますが、認知症の母が先週わたしに向かって急にこんなことを言ったのです。
うそ!まさか、自分の本読んだか?
いや、母はわたしのこの活動を知らないし、未だに東京でエリート会社員として働いていると思い込んでいるはず。
母は自分が認知症だとは思っていませんが、たまに認めることもあります。わたしも「年を取れば、誰でも忘れる」としか言ってないので、ハッキリさせないまま介護8年目に入りました。別にハッキリさせる必要はないと思ってます。
なぜ母は、そんなことを急に言い出したのかまでは分かりません。ただスルーするわけにもいかなかったので、こう答えました。
まるで認知症介護をしている人の相談を受けるような展開になってしまいました、あれれ。
親子ケンカばっかりして、祖母が嫌いで、自分も認知症になった母ですら、心のどこかに祖母の介護への後悔が残っていて、それが口から突然出たんだな、そう思いました。
誰もが介護に対して、大小の後悔を抱えています。わたしもいろいろ後悔を抱えていて、特に失敗の多かった祖母の介護への後悔はたくさんあります。
その後悔を、ブログや本や講演会で発表する機会があるので、ストレスはそんなに大きくありません。ただ、後悔は完全には消えず、それと折り合いをつけながら、うまくつきあっている感じです。
その後悔が文章や講演の原動力になりますし、思いを言葉に乗せられます。それが誰かの役に立つこともあるので、後悔ともうまくつきあえば悪いものでもないですよね。
介護の後悔は過去のものでどうすることもできませんから、未来で他の形で回収するしかありません。
今日もしれっと、しれっと。
【2024年講演会予定】
10/19(土)宮崎県えびの市 → 講演の詳細・お申込みはこちら