先日、珍しく高校生の姪っ子がひとりで家に遊びに来ました。
いつもだと、母親であるわたしの妹と来るのですが、母は用があったようで姪ひとりでした。ブログで何度かご紹介してますが、若くして母の会話の「連続コンボ」をいとも簡単にスルーする能力を持っています。
わたしの高校時代には、「認知症」というコトバもなければ、そういう人に接したこともありませんでした。この子のスルーするスキルを見ると、将来が楽しみでなりません。
今回の母は、なぜか姪に対して説教じみてました。
これを何度も繰り返すと、将来のある姪にも申し訳ないので、
しかしうちの母の価値観が、すごいところで止まってました。NHKの朝ドラも未だに「おしん」から先は知らないので、まぁ納得と言えば納得。もし母が校長先生だったら、退職に追い込まれるような発言です。
それでもありがたいのは、息子とはこういう会話にはなりません。いろんな人と接することが大切なのは、こうやって思いもよらない記憶を引き出してくれることだと思います。
気遣いでこんな風に言ってたら、そら恐ろしい高校生です。
スマホ対応、わたしもやります。ユマニチュードとは真逆、スマホをいじりながら母の話をひたすら聞きます。目を見て傾聴していません。それでも母は、
と言います。なんでこうなのか?それは出て行った父に原因があります。同居していた頃の2人は会話こそしてますが、亭主関白の父に母が話しかけると、「うん」これだけでした。
聞いているかどうか不明で、返事もあまりしません。母はその当時の記憶の中で生きているので、わたしがスマホをいじりながらでも、返事したり相づちを打つことに満足しているようです。
こんなご家庭ないと思いますが、いろんな形があるってことで。スマホチュードという本でも書こうかと。
亡くなった祖母の場合は、さすがにこれはやりませんでした。ジーっと顔を見て、笑う。間が持たなくなると、写真を見せる。これをひたすら繰り返していました。その人にあった接し方って、ありますよね。
今日もしれっと、しれっと。
スマホチュードっていうかスマホ中毒ですよねw
syumitektさま
おっしゃるとおりで・・・
ユマニチュードなどは、本質的な部分を理解しないで形だけ真似ても意味は無いですよ。
認知症の方に対する対応の極意は、「見守りはするけど、干渉しない。」だと私は思います。
「相手を不快な思いにさせず、安心し満足させる。」これが出来れば、方法は問いません。
ユマニチュードの方法は、作った方の国の生活習慣が反映されています。形だけ真似ても上手くいかないのは、当たり前でしょう。
今の高齢者は、畳と襖の文化で育ちました。ドアを大きくノックすると、うるさい奴と拒否されるかも知れませんよ。
姪御さんは、自然体で相手をしている様です。これが、認知症の方の相手をする真髄だと思います。
小関先生
そうですね。実際にイヴさんの振る舞いを上智大で見たとき、いかにもフランス人っぽいな・・日本人は厳しいかなと思ったことを、ふと思い出しました。あのタッチ感や人との距離感は、うちのような軽度だとtoo muchかなと。わたしにも「しれっと」という大切なコトバがありましたので、こちらを粛々と実行しようと思います。
「しれっと」と言うのは、良い言葉ですね。
日本人には、相手に姿が見えない場所から、穏やかに声をかけて入っていくのが、ふすま文化のマナーです。ドアのノックは、控え見にして、ドアを少し開けてから、声をかけて中に入るのが、良いと思います。