わたしの4作目の本『ムリなくできる親の介護』(日本実業出版社)で、お金のある介護とない介護について書きました。
詳細は書けませんが、祖母はお金のある介護ができたが、父はお金のない介護で、介護の方法が全く違ったお話です。
それならば、今介護している認知症の母は? そしてわたしと妹で、認知症の母のお金の使い方や遺産についてどう考えているかのお話です。
介護者の悩みで多い人間関係問題
介護者と被介護者間の悩みよりも、実はきょうだい間、親族間の人間関係で悩んでいる方がたーくさんいます。
被介護者はどこか弱っているので、むしろ元気な親族やきょうだいのほうが手ごわいし、面倒だし、疲れます。誰が親の面倒をみるのか、誰が介護のお金を出すのか、施設に入れるべきか、今日はどっちが病院に連れて行くのか、役割がハッキリしていないきょうだいは、いつももめてます。
わたしの講演会の質疑応答、講演会終わりの介護者の皆さんとのフリートークでは、こういったお悩みが必ずと言っていいほど出てきます。
うちは、兄が生きていれば3人きょうだいでしたが、兄はわたしが生まれる前に亡くなっているので、今はわたしと3歳下の妹の2人きょうだいです。きょうだい仲は悪くないので、介護の連携もうまくいっていますし、岩手と東京で離れているので役割も明確です。
中でも、母の遺産の考え方が同じなので、助かっています。母の相続人は、わたしと妹の2人。もしどちらかが母の遺産をあてにしてたら、母の介護費用を節約して、最終的に自分に入ってくるお金を増やそうとするはずです。
ところが、うちは遺産を残しておく発想がありません。母のお金は母に使ってもらおうと、どちらも思ってます。母の子育てがよかったようです、たぶん。
母の財産を把握するきっかけ
わたしは母の財産すべてを把握していて、それを妹に伝えています。なので、施設に入れたら何年くらいは大丈夫という話し合いもできていますし、わたしに何かあっても妹は財産のありかが分かるようになっています。
母の財産は、祖母の成年後見人を経験しながら把握しました。このブログにプロセスすべてが書いてありますが、認知症の祖母の子宮頸がんの手術代を捻出するために、家庭裁判所に申立をしたのが始まりです。
認知症が進行した祖母は銀行口座がどこにあるか分からず、わたしが盛岡の銀行やゆうちょ銀行を1件1件調べ、祖母の財産をなんとか見つけて集約しました。その財産を母が相続したときも、わたしが親族の調整、銀行とのやりとりも行いました。
数万円単位の買い物をする際は、母と妹に相談しています。例えば、見守りカメラの増設、壊れた冷蔵庫の購入のときも相談しました。
最近の母は、「あんたが決めなさい」としか言わなくなってしまいました。何かおいしいもの食べたくない?行きたいところはない? と質問しても、選択肢が頭に浮かばないのだと思います。とはいえ、母のお金なので「なんでもいい」と言われても、相談はします。
もしお金の考えがきょうだいで一致してなければ、遺産を巡るドラマのようなドロッとした争いが待っています。実際、そういったニュースや再現ドラマ、ありますよね?
家族がお金の方針で同じ方向を向いているって、とてもとても大切です。これが違っていると、認知症介護どころではない大きなストレスが待っています。
コロナ禍と母の認知症の進行が重なり、お金を使う機会が増えています。そこで妹と話しながら、こういう話し合いを普通にできるわが家は幸せなのかもなと思い、こうした記事になりました。
今日もしれっと、しれっと。
うちは只今おおもめ中です。私は自分の父の遺産は母のためにはジャンジャン使います。もう底が見えていますが。主人は自分の父の遺産を何か神がかったお金に感じるらしく手をつけたがりません。うちの家計は火の車なのに。介護も人生も、味わい浴びるしかない南の島の熱いシャワーだな、なんて洒落たことを言ってみるほどだいぶ疲れた気分ですが、毎日、何か温かいあの感覚を心に取り戻す努力をしています。 今日を大事に。
南の9月さま
自分のため、自分の家族を守るためにも、親の介護は親のお金で担うのが鉄則だと思うのですが、必ずしもそう考えない方もいるのでそうなるとストレスになってしまいますよね。本当に今日を大事にしたいと思います。
川崎市の講演会に参加させていただいたものです。
私の遠距離介護は約1年、両親の死によって終わりました。
介護中は色々な事で兄弟と大揉めしたこともありましたが、
両親を見送った後は
「みんなよく頑張ったね」と戦友のような関係になりました。
お金の話もそれぞれの配偶者も交えてしっかり話をすることが出来ました。
くどひろさんが文中でおっしゃっていますが、
我が家も両親の子育てが良かったようです。
しろくまさま
講演会のご参加、ありがとうございます!
戦友のようなきょうだいのご関係、ステキですね。うちは最期はどうなるのかなー、なんて思うこともあります。