介護離職から1年が経過。今生活はどうなっているのか?

ポジティブに介護離職しました

介護離職したのが、2013年3月15日。

約1年前にサラリーマン生活に終止符を打ったのですが、わたしのtwitterページの表紙にある通り、あくまでポジティブな退職でした。今日は介護がスタートしてネガティブな状況だったのに、なぜポジティブなのかの話です。

twitter
表紙のスクショ「ポジティブ」と書いてます


twitterはフォロワーさんが少しずつ増え、約150人ほどいらっしゃいます。ブログとは違うネタもつぶやいていますので、宜しければフォローしてみてください。

介護離職はチャンス?

介護離職者は年間10万人ほどいて、しかも離職するのは40代、50代と仕事バリバリの世代。

子供にお金もかかる時期で、家のローンも未完済。社会全体や企業にとって、大きな損失を被る。こういう記事の書き方がほとんどで、要はネガティブ要因でしかないと考えるのが普通です。

そんなわたしも転職して1年も経過しない時に突然、祖母の子宮頸がん発覚と手術があって、母の認知症が確定しました。一般的には凹む状況なのかもしれませんが、今までの働き方を考え直す大きなチャンスと思ってしまったんですよね。

有名ブロガーであるちきりんさんの著書『未来の働き方を考えよう』の影響もあるかもしれません。ちきりんさんは「40代で働き方を選び直す」と本で言っています。その中に「思い切って世の中のあるべき論から降りる」という言葉があります。どういう事かというと、

恵まれた環境の大企業を辞めてしまったり、ミニマムな生活を選んだりという、いわゆる上昇志向から降りてしまう道です。(一部略)特に今まで、周りの人と違う道を一度も選んだことがないという人には、戦うより勇気のいる選択肢です。

引用元:未来の働き方を考えよう

大企業でもなかったのですが、まあまあの会社で働き、そこそこの収入を得て生活していたわけですが、収入が何分の1になってもミニマムな生活を選んで、自由な時間を確保する。その時間を介護に充てよう。勇気があったわけでもなく、まずそう思いました。

仕事優先で考えるのが一般的な世の中で、「待てよ」「本当に、一生それでいいの?」と立ち止まるには、十分なきっかけでした。

こう思えたこと自体が「チャンス」であり、「ポジティブ」な発想なのです。毎日遅くまで残業し、中間管理職という立場で疲弊もしていました。そんな中で突然介護がやってきて、Wパンチ。そう思うところを、チャンスと発想転換できたのはちきりんさんの本のおかげです。

もうひとつは、離職しても、なんとか生きていけるという状況にあったからです。どういう状況かというと、

  • 住宅ローンを抱えていない(無借金)
  • 一度目の介護離職で、無駄な支出を見直して減らしていた
  • サラリーマン時代から、副業をしていた
  • 貯金をしていた

準備はできていたんですね、なんとなくですが。

祖母にも要因がありました。「祖母の余命が半年と言われているのに、仕事人間な生活を続けて後悔しない?」と自分自身に聞いてみましたが、答えは驚くほどすぐ出ました。

「後悔するぐらいなら、介護離職しちゃっていいんじゃないの?」

早かったですよ、辞表提出するの。事が起きてから、1ヶ月後には辞表提出しました。

それでもすぐには辞められないので、3か月間は介護と仕事の両立をしました。短期間でしたが、両立はきつかったです。実家まで片道4時間~5時間かかりますからね。有給つかっては、往復を繰り返しました。

父と母が別居して23年目なので、二男(兄が亡くなっているので実質長男)であるわたしに介護が回ってくるなぁという覚悟、そして準備があったというのも即決の理由です。わたしの環境や考えは一般的ではないのですが、100人に1人くらいは賛同する人もいるかな。

介護離職してから1年が経って思うこと

この1年で祖母は亡くなってしまいましたし、認知症の母の介護は今後も続きます。

こういう介護ブログを立ち上げる事も予想してなかったのですが、書き続けてよかったなぁと今は思います。母の行動を見て、

「あぁー、なんでこんな事するかな!!」

と思う事は何度も何度もありますが、このブログを始めたおかげで、

「あぁー、なんでこんな事するかな!!でも、ブログネタになるから、まぁいいか!

と思えるようになって、思わぬ形で介護ストレス解消になっています。

にほんブログ村という認知症ブログが集まったランキングでは、単体記事で1位を頂く事が結構多くなったり、リピーターの方も相当増えました。先日はサーバー規制が入るほどのアクセスを頂きまして、ブログへのモチベーションがMAXになりました。

はたから見ると、40歳という若さで介護離職した苦労人とも見えるようですが、わたし自身はそんな風に思ったこともないし、この生活が続けばいいなぁとも思っています。この生活が続くということは、

1.認知症の母の症状が進行せず、キープできている
2.介護離職しても一定の収入が得られ、生活ができている
3.サラリーマンという働き方から、脱出できている

ということになります。3月21日がブログ開設1周年記念になりますが、来年の今頃はどうなっているのかなぁ~ あまり先の事は考えずに、今できる事をやっていこう!と思います。

未来の働き方を考えよう 人生は二回、生きられる

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ちきりん
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今日もしれっと、しれっと。


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東京と岩手の遠距離介護を、在宅で11年以上続けられている理由のひとつが道具です。介護者の皆さんがもっとラクできる環境を整え、同時に親の自立を実現するために何ができるかを実践するための本を書きました。図表とカラーで分かりやすく仕上げました。

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ABOUT US
工藤広伸(くどひろ)介護作家・ブロガー
1972年岩手県盛岡市生まれ、東京都在住。
2012年から岩手でひとり暮らしをするアルツハイマー型認知症で難病(CMT病)の母(81歳・要介護4)を、東京からしれっと遠距離在宅介護を続けて13年目。途中、認知症の祖母(要介護3)や悪性リンパ腫の父(要介護5)も介護し看取る。認知症介護の模様や工夫が、NHK「ニュース7」「おはよう日本」「あさイチ」などで取り上げられる。

【音声配信Voicyパーソナリティ】『ちょっと気になる?介護のラジオ
【著書】親の見守り・介護をラクにする道具・アイデア・考えること(翔泳社)、親が認知症!?離れて暮らす親の介護・見守り・お金のこと(翔泳社)、医者には書けない! 認知症介護を後悔しないための54の心得 (廣済堂出版)ほか