認知症の母と、ものわすれ外来の待合室で診察を待っていたときの話です。
待合室で母と会話していると、周りには、
- わたし「が」知っている人がいて
- わたし「を」知っている人もいる
という、不思議な状況でした。
わたしの講演会に来てくださって知り合った方と、わたしのブログを読んでくださっている方でした。わたしが知っている人もわたしを知っている人も、どちらも「くどひろ」として認識している人たちです。
母が横にいなければ、のびのびトークができるのですが、母には「くどひろ」活動のことは伝えていません。間違いなく「くどひろ」って、名前間違えて呼んでいると思うはずです。
正直なところ、母にバレたとしても忘れてしまう確率が98%なのですが、印象深いこと(人の死、北海道旅行)は覚えていて、長期に渡ってリピートすることもあるので、細心の注意を払っています。
それに細心の注意を払う必要がなくなる時期もいずれ来るので、これはこれで楽しい時期なんだと思います。
音楽のある風景
病院の待合室にはピアノがあるのですが、そのピアノを奏でる人がいないので、わたしの中ではインテリアみたいなものでした。しかし、この日はピアニストの村上与志也さんが、診察を待つ間に音を奏でてくれました。(記事タイトル下の写真が、実際のもの)
母とわたしは音楽と無縁の家族ですが、ひとつだけ意識していることがあります。それは昭和歌謡の番組を見つけたら、必ず母にそれを見てもらうことです。
母にその番組を見てもらうことが、「回想法」につながると思ってます。その曲を聞けば、昔のエピソードを話し出しますし、わたしはそれを聞いて「なるほどね~」とか「それ、ほんと?」とか言いながら、いつもとは違った話を聞くことができます。母との会話は、ほとんど聞いたことがある話ばかりなので、この方法を使うと若干ですがわたしがリフレッシュできます。
わたしの母が知っている童謡や歌謡曲を弾いてくださったので、親子で会話も弾みます。
敢えて履歴書に「そろばん3級」って書いたら、面接官の笑いを誘って内定近づくかな?なんて思ったこともありましたが、実際にはやっておりません。昔、キヨスクでバイトしていたとき、5つ珠(たま)のそろばん(通常は4珠)を使いこなすおじさんがいて、その人のことをみんなが「ごだまさん」と呼んでいたことを、25年ぶりくらいに思い出しました。
わたしはやりたいことを実現してきたほうだと思うのですが、それでも挑戦できていないことはピアノとギターです。だから、楽器を使いこなせる人をうらやましい~といつも思っています。
しばらくすると、母もわたしも知っている、海援隊の『贈る言葉』が流れてきました。
隣にいた母を見ると、『贈るぅ~、言葉ぁ~ ♪』と自然と口ずさんでいることに気づきました。昭和歌謡の番組を見ていても、そんなに口ずさむこともないし、舟木一夫のコンサートに一緒に行ったときも、口ずさむことはなかったのですが、ピアノ生演奏で違うスイッチが入ったのだと思います。
母の認知症はゆっくり進行中ですが、「歌詞、きちんと覚えてる!」という小さな日常に喜んでしまうのは、どの介護者も同じだと思います。歌のタイトルも最初は分からなかったのですが、自分で口ずさんでいるので一応正解。今度は、誰が歌っているかを聞いてみました。
物まねは全く理解してもらえなかったのですが、それでも武田鉄矢という名前が出てきたことにまた「おお~」と思ってしまうわたしがおりました。
母が通っているデイは歌のレクリエーションとかなくて、誰かが歌い出したらみんなが歌うというステキなデイです。わたしはそのほうがいいと思っているのですが、やはりピアノ生演奏にしかない、何かってあるんだなぁ~ そう思えた、病院の待合室のお話でした。
ものわすれ外来に普通、ピアノないですけどね。
今日もしれっと、しれっと。